雪花



しんしんと降り落ちる粉雪の放つ光に、ロザリーは窓から身を乗り出してほほえんだ。

「きれい……」

なんて、きれいな雪なのだろう。

一粒一粒がきらきら輝いている。

空は、この世のありったけの宝石を閉じ込めた大きな宝箱で、神様がうっかり手をすべらせると、こうして大地で生きる者のもとへ、その中身は惜しげもなくこぼれ落ちて来る。

精霊エルフ族は大地の番人、この星の守り人とも呼ばれているが、これほどうつくしい雪を降らせるこの星の番人であるなんて、エルフとして生まれたのはやはり、誇らしく思うべきことなのだ。

たとえ虐げられ、不老不死を得るための道具として狙われ、人間の目から隠れるようにしか生きていけないとしても。

ロザリーはか細い手を懸命に伸ばし、なんとか白くつめたい宝石のかけらに触れようとした。

だが、ようやく捕まえたと思ったとたん、それは手のひらの上で音もなく溶けてしまった。

「ロザリー様、そのようにお体をお出しになってはなりません」

背後に佇む緑金色の甲冑をまとった男が、抑揚のない声で諭した。

「あまり窓から身をお乗り出しになると、下へと落ちてしまいます」

「大丈夫よ、騎士様」

ロザリーは振り返って笑った。

「いくらわたしがどじだからって、窓から落ちたりなんてしないわ。

でも、いつもわたしを心配してくれてありがとう」

甲冑の男は黙ってうっそりと頭を下げた。

「ロザリー様。何度も申し上げましたが、騎士様ではなく、わたしのことはピサロナイトとお呼び下さい」

「でもあなたのお仕事は今、ピサロ様をお護りするのではなくて、わたしの傍にいて下さることだもの。

ピサロ・ナイトという呼び方は、おかしいのではないかしら?正確には、ロザリー・ナイト」

緑金色の甲冑の騎士は動揺したらしく、頭と顔を覆う重々しい兜の、面頬の部分がわずかに震えた。

ロザリーはくすくすと笑った。

「困らせる冗談を言って、ごめんなさい」

「……は、いえ」

「でも、騎士様。あなたが今のわたしの、たったひとりの大切なお話し相手なの。

こうして冬が来ると、動物たちは土にもぐって眠ってしまう。香り高い花々はまだ小さな体を種の中にひそめて、芽吹くための春が来るのをじっと待つわ。

ロザリー・ヒルで起きて暮らしている者は、あなたとわたし、たったふたりだけになってしまうのよ。

あまりに寒いから、水鳥たちは皆、南へと飛び去ってしまった。

自由な翼を持つ者たちは皆、自分の意思で好きな所へ向かって行ってしまう。

わたしにはそんな力も、勇気もない。

そして、……ピサロ様は……」

ロザリーの顔がくもった。

「このところ、数えるほどしかこちらへいらっしゃらない」

「ピサロ様は現在、ご多忙を極めておられます」

ピサロナイトは用意していたかのように、淀みなく答えた。

「とある重要な御計画のため、望もうともこちらへ足を運ばれることが叶わぬのです。

ですがピサロ様は、いつもロザリー様を心より案じていらっしゃいます。わたしが護衛としてここに派遣されたのが、なによりの証し。

ピサロ様に成り代わり、この命を捨てても必ず貴女様をお護り致しますゆえ、どうかご安心を」

「命を捨ててもなんて、そんな悲しいことを言わないで。

わたしなんかのために、もう誰も死んではいけないわ」

ロザリーは大きな目にみるみる涙をため、ピサロナイトの兜に覆われて表情の窺えない顔を見上げた。

「ピサロ様が人間の手からわたしを助けて下さった時、ピサロ様は人間をたくさん殺してしまった。

わたしの命も、人間の命も同じ。

どちらかを助けるためにどちらかを殺すなんて、本当は決してあってはならないの」

「ですが価値のない命、というものもこの世界にはありましょう」

ピサロナイトは平淡な声で答えた。

「私利私欲のために、異種族エルフを捕えて売ろうとする愚かな人間と、ロザリー様の命が同じはずはありませぬ。

貴女様はピサロ様によって護られるべき、貴いお方。

いえ、たとえピサロ様の御命令がなくとも、わたしは貴女を……」

緑金色の甲冑の騎士は、あえぐように言って口をつぐんだ。

分厚い面頬の隙間から暗い瞳がわずかに覗き、元通りの抑揚のない声が繰り返す。

「……わたしは、ピサロナイト。ピサロ様の影なる者。

あるじのために己れの名を捨て、一切の自我を持たずに生きる影の騎士。

この命に代えましても、貴女様をお護り致します」

「あ」

ロザリーはその声が聞こえなかったのか、はっとして違う方向に顔を向けた。

「今、……笛の音が」

雪に溶けるほどひそやかな、かそけき調べ。

石造りの床がかたかたと小刻みに揺れる。

ロザリーの赤い瞳から涙が消え、代わりにぱっと明るい光が昇った。

「ピサロ様!」

「いい子にしていたか、ロザリー。

なかなか会いに来られず、寂しい思いをさせた」

からくり仕掛けのように突如床を割って出現した階段から、長身の美麗な人物が、霧を払うように凛然と姿を現す。

それは暗雲をまとった銀色の月のような、不吉で途方もなく美しい、ひとりの魔族の青年だった。

月光色の長い髪を額で留める、血のように紅い絹布。左肩だけに嵌めた白銀の巨大な鋲付き肩あて。

闇から抜けだして来たような全身黒づくめの衣装の腰に、額と同じ鮮やかな紅の絹布を巻き、胸の中心にはまがまがしいどくろを象った首飾りをかけている。

研ぎ澄まされた刃のような、一分の隙もない逞しい肢体。すらりと長い脚は漆黒の服と長靴に包まれている。

先の尖った長い耳はエルフと同じ形状をしていたが、その実体が明らかに精霊族と違うのは、瞳孔をあやどるのがルビーの涙を流す紅い光彩ではなく、冬の暁のような魔物の紫色だということだった。

腰の剣帯に吊るすのは、柄に邪神の紋を打った巨大な長剣。

「皆殺しの剣」と呼ばれ、恐れられる伝説の呪いの剣。

魔族の若き王、デスピサロ。

非の打ちどころなくうつくしいが、どこか妖しく不穏な佇まいを醸す姿は、魔物の王というより、死の女神に愛された黄泉の国の剣士のように見えた。

「ロザリー」

ピサロは魔族にしてはあまりに涼やかな、水のせせらぎのような声で、愛するエルフの娘の名を呼んだ。

胸に飛びついて来るロザリーを優しく受け止めると、先程までの懊悩の痕など微塵も見せず、紫の瞳に柔らかな光を宿す。

「ピサロ様、お会いしたかった」

「わたしもだ」

「重要な御計画って、なんなのですか?ピサロ様は今、とてもお忙しくていらっしゃるのですか」

ピサロはロザリーを見つめ、黙って後ろに目をやった。

背後に控えていたピサロナイトは、すかさず深々と頭を下げた。

「……差し出口を、申し上げました。

身の程もわきまえず、まことに申し訳ありません」

「構わぬさ。忙しいのは嘘ではない。

ただ、それを言い訳に使いたくはないのだ」

ピサロはロザリーの細い体を抱き寄せ、耳元で「お前に会うより重要なことは、わたしには今のところないな」と、彼には珍しい冗談めかした口調で囁いた。
3/36ページ
スキ