雪花



ロザリーヒルから遥かかなた、南方の人外魔境の大陸に蕭条(しょうじょう)とそびえる、魔族の王城デスパレス。


闇を統べるように屹立する魔城の大広間の奥、柱廊陰の日ごろめったに使われぬ暗い小部屋に、エビルプリーストが足元に三匹のスモークグールを控えさせて鎮座していた。

「……いやはや、まったく、あの銀髪のうつくしき若造殿の考えることはわからぬ。

精霊の娘にうつつを抜かし、愛だの情だのにのらくらと囚われておったかと思えば、天空の勇者を始末したとたん、今度は力を得たいなどと突然言い出しおって、面妖な」

エビルプリーストは肘掛椅子に寝そべるようにだらしなくもたれ、エナメル細工の硝子の酒杯を両手で口へあてがって、注がれた酒をごくりと一息で飲みほした。

「山奥の集落を襲撃する折、いっそ混乱に乗じてきゃつめに死んでもらおうかとも考えたが、さすが、成り上がりでも邪神に選ばれし正統な魔族の王殿よな。

力が圧倒的過ぎて、迂闊に手を出すことが出来ぬ。

ならばきゃつ自身が地獄の帝王を越えようと企み始めた今の方が、返って都合が良い。

アッテムトに封印されし地獄の帝王エスタークは、いずれ復活する。欲にかられた人間どもがそこに何が眠っているやも知らず、毎日せっせと掘り起こし続けているのだからな」

エビルプリーストはくくくっと喉声を洩らしてほくそ笑んだ。

「進化の秘法に己れを食い荒らされた愚かなデスピサロめと、復活を遂げた地獄の帝王が、互いに競って殺し合えばよいのだ。

力が弱まったところで、どちらも始末する。馬鹿者どもは共倒れし、新たなる魔族の王として立つはこの儂、エビルプリースト様よ」

「エビルプリーストサマ、バンザイ」

足元にうずくまった三匹のスモークグールが、うつろな声で繰り返した。

「エビルプリーストサマガ、アラタナルマゾクノオウ。バンザイ」

「バンザイ」

「バンザイ」

「デスピサロめは、今や進化の秘法に身を投じることになんのためらいもない。

秘術を完成させる力を持つという黄金の腕輪を、魔族軍の精鋭を率いて血眼になって探しておる。だが気に入らんのは、きゃつめが今だに東の塔にうまそうな精霊の娘を飼っていることだ」

エビルプリーストは舌打ちした。

「勇者の住まう山奥の集落では、エルフの娘を見つけ出して食らうことが出来なんだ。

あれ以来、わしはエルフを一度も食っておらん。なんとしても口にしたいものだが、きゃつめ、愛する女をじつに厳重に警護しておる。

蒼き塔の扉をあやかしの笛の音で封印し、自身の影たる騎士に、娘の護衛をさせておるのだ。馬鹿なことよ……己れが醜悪な化け物になろうと決めてなお、寵愛する女を守って離さぬとは。

あの若造は芯から馬鹿で、愚かだ。みすみす弱点を作る王がどこにいる。あの娘を手放さぬ限り、きゃつめが心の奥底に秘めた情愛の片鱗は決して消えぬ。

愛する者を無惨に失い、真の絶望を味わわぬ限り、デスピサロめは地獄の帝王に匹敵する存在になどなれぬわ」

「デスピサロ、バカ」

「デスピサロ、バカ」

「デスピサロ、バカ。デスピサロ、ジゴクノテイオウニナレナイ」

「かといって、勘の鋭いことにきゃつめは儂の叛心に既に気付いておる。軽はずみにあの娘に手を出そうものなら、真っ先に儂を疑って殺しにかかるだろう。

仕組んだのが儂だと気取られぬよう、精霊の娘をうまく始末することが出来れば……、ふむ」

エビルプリーストは酒杯が空になっていることに気づき、怒って足元のスモークグールを力任せに蹴りとばした。

「この、のろまめ!酒がないではないか。儂が飲んだら、すぐに注げ!」

「ハ、ハイ。モウシワケアリマセン。エビルプリーストサマガノンダラ、スグニツゲ」

「スグニツゲ」

「スグニツゲ」

慌てて強い酒を杯になみなみと注がれ、エビルプリーストはため息をついた。

「まったく、貴様らのような無能どもが増えたのは、魔物の形をしてさえいればどのような輩でも拾って配下に招じ入れてやった、デスピサロめの手ぬるい治世のせいよ。

儂が晴れて新たな魔族の王になった暁には、役に立たぬ馬鹿は皆殺しだ」

「ハイ、バカハミナゴロシ。バカハミナゴロシ」

「ミナゴロシ」

「ミナゴロシ」

エビルプリーストは眉を上げた。

「ふむ、馬鹿は……、そうか。あの娘は人間が喉から手が出るほど欲しがる、ルビーの涙を流すエルフだったな。

なにも直接手を下さずとも、馬鹿者どもに殺させるというやり方があるではないか」

「バカモノドモニ、コロサセル。ヤリカタガアル」

「ヤリカタガアル」

「ヤリカタガアル」

「デスピサロの愛する精霊の娘を、欲深い人間どもに殺させようぞ」

妙案を思いついたというように、エビルプリーストはすがめた瞳を陰惨に輝かせた。

「あの生意気なデスピサロめの愛するエルフの娘を、無惨にいたぶって苦しませ、きゃつめの目の前で殺させるのだ。

たったひとつの心の慰めをむごい仕打ちで喪えば、あの若き王はどんなにか悲しむことだろう。

情深く、未だ心より憎みきれぬ人間を、命をかけて深く憎むだろう。

その時こそ、きゃつめは真の力を手に入れる。いにしえの進化の秘法の、世にも恐ろしき巨大なる力を。

地獄の帝王と殺し合い、己れ自身を滅ぼす不幸な、不幸な力をな」

エビルプリーストは酒を飲み干し、ひっひっと笑って空になった酒杯を床に投げつけた。

派手な音を立てて、硝子が砕ける。飛び散った破片が体に刺さり、スモークグール達は痛みに甲高い声を上げてわめいた。

「愛も情も命もろとも、すべて粉々に砕け散れ。デスピサロよ」

エビルプリーストは笑った。

「銀色の月のように見目うるわしい貴様が、醜い化け物と成り果てる姿を想像するだけで、この胸は躍る。



魔物でありながらうつくしく、魔物でありながら優しく、魔物でありながら他人を愛した己れを呪って死ね。デスピサロ」
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