雪花




雪が、止んだ。



蒼き塔ロザリーヒルの窓の外に広がる銀の景色を、緑金色の甲冑の騎士は壁に体を寄せ、じっと見ていた。

遠くに重厚な雪を抱えた森の木々の枝先が見える。

そういえばロザリー様は、よく雪花の話をなさっていたものだ。

冬の終わり、間もなく春が訪れる頃、溶けて消える寸前の雪を枝先に乗せて咲く雪花。

ピサロ様と一緒に見たいの、と、雪よりも白いかんばせをほんのりと染めて、彼女はそれが叶わぬ願いだと知っているかのように、どこか寂しげに呟いた。

願いを叶えて差し上げたい。

だが雪花は、生きた花とは違う。野に咲く草花のように、移動呪文を使ってまた自分が摘んで来るというわけにも行かない。

なんとかピサロ様に、この冬のあいだだけでも、こちらへ長く逗留して頂くことは出来ないものだろうか。

緑金色の甲冑の騎士は、椅子にもたれて目を閉じるあるじを視線の端で見つめた。

椅子に座ったまま、うつむき加減に輝く銀髪を垂らし、胸の前で両腕を組んで眠っている魔族の王ピサロ。

その顔は紙のように白く、うつくしいがおよそ生気というものが感じられない。

傷の手当てのさなか、山奥の村への襲撃を反芻して発作のような恐慌に囚われたピサロは、やがて脱力し、引きこまれるように深い眠りに落ちた。

家臣の前で決して隙を見せないピサロには珍しく、ぴくりとも動かずに眠っている。

身体より、精神をひどく消耗しているようだ。

(まことは、お心のお優しいお方ゆえ。命を奪うことを本当は好まれてはおられない。

だから、大地の守人エルフであるロザリー様を、あんなにもお愛しになられるのだ)

清き精霊の願いに寄り添いたい心と、魔族の王としての野望に己れの生を投じなければならない心。

ふたつの離反する自分の中でせめぎ合う彼の魂は、いったいいつ安らぎを得ることが出来るのだろう。

緑金色の甲冑の騎士は、兜の奥の瞳を細め、痛ましげにピサロの蒼白なおもてから視線を逸らした。


……なぜ、我れらは魔族なのだろう。


生まれついて邪悪でなければならないさだめを負ったものが、この世に存在するのはなぜだろう。

人間とて、時に殺し合う。自分たちの領地を巡って争い合い、奪い合い、殺戮と破壊の歴史を絶えず繰り返す。

だが彼らは一方で、自分たちの存在は正義なのだと信じている。自分たちこそこの星の霊長、支配者なのだと信じ、ゆえに自然を敬わず、木を切り、けものを殺し、森を破壊する。

犬猫でも、己れに危害を加えられそうになれば悲鳴を上げる。牙を剥いて命を取られまいと抵抗する。

だが、この世界はそれをしない。

木は切られても悲鳴を上げない。森は喰い尽くされても、お願いだから止めてくれ、と抗わない。花は踏みにじられても、悲しみの涙を流さない。

だから人間は、この星を好きに扱ってもいいのだ、と勘違いする。声を持たぬ命の叫びに耳を傾ける想像力を持たない、浅ましい、浅ましい生き物。

ならば生まれついて邪悪だとさだめられている我れら魔族は、もっと浅ましい生き物なのだろうか。

この星を食い荒らし続ける人間を滅ぼす、とピサロ様はお決めになった。

皆が手を取り合って生きる世界が訪れればいい、とロザリー様はお望みになった。



どちらが正しく、どちらが間違っているのか、わたしにはわからない。





「影の騎士」

不意に、眠っていると思っていたピサロの口から言葉が洩れ、緑金色の甲冑の騎士は驚きの叫び声を上げそうになった。

「は、はい!ピサロ様」

「わたしは、どれほど眠っていたか」

「そうですね……。ほんの一時間ほどでしょうか。よくお眠りになられていました」

「そうか」

「傷はまだ、お痛みになられますか」

「大事ない。お前の治療のお陰だ。礼を言う」

「勿体ないお言葉です」

「ロザリーは」

「お疲れになられたのか、隣室でお休みになっていらっしゃいます」

「……雪が、止んだな」

足元に落とされていたピサロの視線が、窓の外を向いた。

「このロザリーヒルにも、そう遠くないうちに春が来るだろう」

「はい」

緑金色の甲冑の騎士は頭を下げ、窓の向こうを見つめるピサロの表情を窺った。

「あの……。ピサロ様」

ピサロは振り向かずに答えた。

「なんだ」

「恐れながら、お願い申し上げます。

御身が慌ただしいことは重々承知ですが、ピサロ様は只今手傷をお負いになっておられるお体。

せめて、この冬が……」


この冬が明けるまでは、こちらでロザリー様と共にお過ごしになっては頂けないでしょうか。


しかし、緑金色の甲冑の騎士の要望は、押し被されたピサロの言葉に音を奪われた。

「影の騎士。

お前、ロザリーをいとしく思っているのだろう」

「え?」

影の騎士は動転し、身を硬直させた。
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