雪花



鬱蒼とした森の奥深くにひっそりとたたずむ、蒼き円柱の塔ロザリーヒル。

辺り一面の木々が、侵入者を拒むように枝を折り重ねて生えているのは、塔の住人を木々が自らの意思で護ろうとしているあかし。

そそり立つ山嶺に四方をぐるりと囲まれたこの地は、盆地状で冷気が溜まりやすい地形だ。

外気を散らせる風が少なく、冬はひどく冷える。一度冷えると、なかなか去らない。

ピサロがその塔を訪ねた時、折しも、上空からは粉雪が舞い落ちて来た。

きらきらと空からいくつも放たれる、白銀の小さなかけら。

蒼みだつ塔が雪を浴びて輝く。

まばゆい景色に目をやって、半月型の窓から身を乗り出し、恋人ロザリーはおそらく今頃、嬉しげにほほえんでいるだろう。

ピサロは冴え冴えと美しい白皙を、我知らず薄くほころばせた。

昔はこうして、彼もよく笑った。

だが魔族の王として即位して以来、彼に心からの笑いをもたらす存在は、この世界にロザリーただひとりきりとなってしまった。

そのうえ、そのロザリーと心安だてに過ごす時間さえ、最近では満足に取れなくなって来ている。

一族郎党すべてを率いる王としての重圧、責務。

選ばれし者ゆえの孤独。敬意の倍ほども受ける憎悪、妬み。いつ襲って来るやもしれぬ裏切り。臣下に背中を向けて立つことも出来ない猜疑心。

日々削り取られる神経。眠りにつく前、脳を締め上げるような頭痛に毎夜苦しめられる。

かといってそれを、誰にも打ち明けることは出来ない。

格別高貴な血を持つわけでもない、辺境に棲むいち魔族の子に過ぎない自分が突然王に抜擢されたのは、ただその強大な力ゆえだった。

自分自身でも、なぜこれほどの力を持つのか解らない。

だがまだ幼い頃、とある古き神との戦いの折、初陣のピサロは周囲を圧倒させる鬼神のごとき戦いぶりを見せ、魔族の崇める邪神にこの者こそ新しい王だと認められた。

いや、正確には認められたのではなく、命ぜられたのだ。魔族にとって邪神の命令は絶対であり、そこに否という答えは存在しない。

かくしてピサロは、魔王「デスピサロ」となった。

この世で最も不吉な死を名に冠する代わりに、彼からは笑顔が失われた。

笑顔を失くし、王としての理想と現実の乖離に苦悩し、耐えかねてついに爆発しかけた「逃げ出したい」という思いは、

だがずらりと膝まづく配下を前にすると、胃の底へと静かに飲み下された。


胃の底に、悲痛な呟きのかけらだけが残った。





ひれ伏す魔物。

媚びへつらう魔物。

全て、下らぬ茶番だ。

こうしてなってみて、初めてよく解る。自分は決して王になりたかったわけではない。

人間は愚かだ。だがその存在に目くじらを立てて滅ぼそうとまでは思わぬ。

大地を駆ける誇り高き獅子が、足元を這いずる虫けらに腹を立てて踏み殺そうとすることなどないように。

ひれ伏す魔物。

媚びへつらう魔物。



……全て、下らぬ茶番だ。





だが音を持たない内心の呟きなど、風の前の塵芥のように玉座にあってなんの意味も成さない。

邪まな魔族の王たるや、必ず凶悪無比な世界征服の謀を企まなければいけないものらしい。

人間を滅ぼせ、地獄の帝王を蘇らせろ、という魔物たちのさんざめきはいつしか叫びとなり、玉座に座るデスピサロの眼前に、無数の拳が高々と突き上げられる。

「デスピサロ!デスピサロ!」

「人間を滅ぼせ!人間を滅ぼせ!」

「殺せ!殺せ!」

「殺せ!」

「ぜんぶ殺せ!」



「人間を殺せ!魔族の王、デスピサロ!」



地を轟かす大合唱を前に、ごく一瞬、ピサロの紫色の目に怯えに似た光が走った。

だがそれは瞬きほどの間に消え、デスピサロは落ちついた様子で手を上げて皆を黙らせると、白銀の長髪に彩られた紫色の双眸を、ゆっくりと四方へ巡らせた。

「静粛に。諸君らの言い分はよく解った。

地獄の帝王エスタークを蘇らせ、人間を滅ぼす。わたしも、そのどちらにも異存はない。

人間などこの世界には要らぬ。

今こそ地獄の帝王の力を借り、この星の全てを我れら魔族のものとしてみせようぞ」





けれど、果たしてほんとうに、どちらにも異存はなかったのか。

「よくぞおっしゃいました」とうすら笑いを浮かべてすり寄るエビルプリーストに、「策は、全て貴様に任せる」と投げやりに告げたのは、本当はそのどちらにも興味などないからではないのか。

王として功を上げ、皆に力を誇示したいという野心は確かにあるが、それと全てを蹂躙し、滅ぼしたいという暴力的な支配欲は、ピサロの中で決して比例していなかった。

デスピサロ、と呼ばれるたびに自分とは違う、全くべつのもうひとりが魂から遊離して、操り人形のように勝手に動き始めるような気がする。

本当の自分を置き去りにして、操り人形は残酷な哄笑を上げながら暴れ回り、やがて手の届かないところへと走り去って行く。


その速さに、どうしても追いつくことが出来ない。



そんなどろどろした澱のような苦しみと迷いを、いっときでも忘れることが出来るのは、ここにいる時だけだった。

ピサロはロザリーヒルの前に立ち、あやかしの笛を唇にあてた。

雅やかな旋律が横笛からこぼれると、かすかな地響きが鳴る。

蒼い塔が震え、蔦に覆われていた塔の隠し扉がぱくりと口を開いた。
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