Love guaranteeⅡ



花崗岩を積み上げた壁と、その上に組んだヒバの木材の天井に、白い湯気がいくつも円を作る。

かぐわしく薫る湯の花。

ちゃぷん、ちゃぷん、という水音の隙間を、ふたつの小さな吐息がすべり落ちた。




Love guaranteeⅡ




「なあ、シンシア」

「なあに?」

「……なんでもない」

呼び掛けると、閉じた瞳を開いて不思議そうに見上げて来たので、安心した。

すこしでも黙っていられると、またあの時のように突然自分の前から消えてしまうんじゃないかと、不安になる。

彼女はちゃんとここにいて、触れあう肌は温かく、おだやかな呼吸は規則的に繰り返されているというのに。

返事をもらったことに安堵して、かつて勇者と呼ばれた少年は、腕の中のシンシアの体をもう一度抱きしめなおした。

掌で湯をかきわけると、跳びはねた飛沫がちゃぷん、と水音を立てる。

水面がいくつも三角に波打ち、頭上にもうもうと白い湯気を吹き上げた。

食事を済ませた森の動物たちが、心地良さげにまどろみ始める晴天の昼日中。

真夏の日。

およそ何年ぶりかに、二人で一緒に入る風呂。

扉を閉めきった浴室の温度は高く、前髪が張りついた勇者の少年のなめらかな額を、ひっきりなしに透明な汗がつたい落ちた。

だが、少年の胸にもたれて心地よさそうに瞳を閉じるシンシアは、その熱さもとくに気にならない様子だった。

まるで眠ってしまったかのように、寄り添って湯に浸かってからずっと、そうしている。

勇者の少年はふーっと息を吐き、自分の鎖骨の上にもたれているシンシアの小さな頭に、そっと顎を乗せた。

流麗に尖った形よい鼻の頭に浮かんだ汗の粒が、ぽとりと湯に落ちる。


熱い。

喉が渇いて、頭がぼうっとして来た。女って、ずいぶん熱い風呂に入るんだな。

それに、長風呂だ……。


こうしていざ一緒に入るまでは、真昼間からシンシアと風呂なんて、一体どうすればいいんだと恐ろしく動揺したが、実際入ってみると意外となんということもない。

考えてみれば、子供の頃はずっとそうしていたのだ。

はしゃぎながらお湯のかけっこやもぐりっこを繰り返し、くっついて肩までつかって百数えるのは毎日のことだった。

胸にぴたりと寄り添うシンシアの、尖った耳が喉をくすぐる。

懐かしいような、でも初めてのような、不思議な気持ちにとらわれる。

だが、いつまでもこうして抱きあっていたいけれど、この熱さに勇者の少年が耐えられるのは、どう見積もってもあと数分が限界だった。

「なあ」

ためらいがちに呼ぶと、シンシアはまた、瞼をひらいてぼんやりと少年を見上げた。

「なあに」

「お前、熱くないのか」

すると、シンシアはようやく夢から醒めたような顔をした。

「へいきよ。わたし、熱いお湯に長く入っているのが好きなの。こうしてると、すごく気持ちいいわ。

もしかして、あなたは熱いの?」

「あー、いや……」

ああ、目玉がぐるぐる回りそうなくらい熱いぞ、と内心思いながら、勇者の少年はうわずった声で否定した。

「いや、熱くない。俺は平気だけど、お前が……」

「わたしなら大丈夫よ」

シンシアはなんの思惑もなさそうに言って、また少年の肩に頭をもたせかけた。

「とっても気持ちいいわ。もうすこしこうして、一緒にお湯に浸かっていようよ。

あとでわたしが、あなたの体を洗ってあげる」

「ばっ……いいよ。体くらい自分で洗える」

「でもあなた、小さい頃はいつもわたしに全部洗ってもらってたじゃない。

シンシア、背中のまんなかに手が届かないよーって」

「い、今はちゃんと届くからいいって!」

かあっと顔を赤らめ、彼女以外の誰にも見せることのないひどく子供っぽい表情を浮かべると、少年はついに音を上げた。

「あー、やっぱりもう駄目だ。熱っちー!」

両腕を離してシンシアを柔らかく押しのけると、ざばっと立ち上がる。

「悪りぃ。俺、先に上がる」

「ええ、もう?体は洗わないの?」

「外に出れば、どうせまた汗をかくだろ。後でいいよ」

「だーめ!」

シンシアは後を追って湯船から立ち上がり、少年の裸の胸にはっしと抱きついた。

「せっかく入ったのよ、ちゃんと綺麗にしなきゃだめ!わたしが洗ってあげるから、床に座って」

「いいって、そんなの」

「駄目よ、座って。ほら、座るの!」

有無を言わせず両肩をぐいぐいと手で押し、眉を釣り上げて怖い顔を作る。

少年はため息をつくと、観念して濡れた床に座り込み、胡座を組んでその上に頬杖をついた。

「……これでいいのかよ」

「うん」

シンシアはにっこり笑い、少年と向かい合うようにして床に座った。

絹の手拭いと石鹸を手にし、丁寧に泡立てて首から順に少年の体を洗い始める。

引き締まった胸を覆うふわふわした泡と、つるりとした絹の布。

白い泡をかきわけて肌をすべる、シンシアの細い指。

無心な表情でかいがいしく体を洗ってくれるシンシアを、勇者の少年はふてくされたように黙って見ていたが、やがてなにかに気付いたのか、さっと顔を赤くした。

シンシアは不思議そうに少年を見た。

「どうしたの?」

「……いや、なんでもない」


なんでもないことあるか。

なに、がっつり正面からじろじろ見てるんだ?俺の大馬鹿野郎。


天井と同じ、水気を含んでも腐りにくいヒバの木材で作った浴槽から上がったふたりは、さっきほど多くの湯気で包まれていない。

湯に浸かっている時はぼんやりとしか見えていなかったシンシアの体が、目の前で美しい曲線をくっきりと描いている。

するとにわかに気が動転し、さっきまで平気で寄り添っていたのがすごく大胆なことだったように思えて、少年はあわてて首を横を向け、ぎゅっと目をつぶった。

「どうしたの。泡が目に入っちゃったの?痛い?」

「違う。違うけど……お、俺、こうしてるから、さっさと洗ってくれ!」

「? うん」

当惑したシンシアの手が、少年の腰から下にするりと伸びた。

「わーっ、そこは洗うな!!」

「どうして?だいじょうぶだよ、ちゃんとぜんぶきれいにしてあげる」

「いいって!ちょっ……馬鹿、止めろ、シンシア!止めろって!」

泡に包まれたふたりの体がくっついて、止めろ、いいのを繰り返しながらじたばたと押し合いへしあい。

そのたび首や肩に、マシュマロのようなやわらかい何かがぎゅっと押しつけられ、勇者の少年は気が遠くなりながら、頼む、誰か助けてくれ、と呟いた。

若くすこやかな十代の抑制力は、哀れあまりにもろく出来ている。

好きで、好きで、いとおしくてたまらない恋心に、理性は激流の前の枯れ葉のようにたやすく押し流されてしまう。

さっきは鮫だのなんだの、半ば冗談であんなことを口にしたものの、こういう時こそ自制するのが、誠実な男の本領だと思う。

でも正直に言えばほんの少しだけ、我れを忘れて彼女の体を引き寄せ、駆り立てられる衝動に思いきり身を任せてもみたい。


天空の勇者であっても、その実、ただのひとりの男。

男は女が思うよりずっと、意地っ張りで面倒でややこしくて、忙しい生き物なのだ。


「……お前、後で覚えてろよ。俺だって、もうこれ以上は無理だって時もあるんだ。

止めろって言っても、止められねえぞ。どうなっても知らねーからな」

少年がむっつりと顔を赤らめ、悪戯の仕返しを宣言する子供のようにごにょごにょ言うと、何も気付かないシンシアはきょとんと瞳を見開いた。

「なあに?なにをこれ以上我慢するのが無理なの?」

「あ、あとから教えてやるから、その話はもういい!

だから早くここから上が……わっ、だ、だからそこは洗うなって!

シンシア!止めろー!」

日頃の無愛想からは想像も出来ないほど慌てふためく声と、それを意に介さず、のんびりと泡をすべらせる少女の小さな手。


天窓から差し込む黄金の光。

真夏の日。



かおり高い湯の花を湛えた浴槽から、長い間温めた初々しい恋をようやく手探りで確かめ合うふたりをからかうように、真っ白な湯気がふわりとくゆった。




-FIN-


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