子守りをやってみよう



ぎゃあっと甲高い泣き声をあげ続ける、丸くて小さな口。

初めての子を授かったばかりのまだ年若い父親は、なんとかしてそこにミルクをたたえた哺乳瓶の吸い口を差し入れようと試みた。

だが腹を減らしているはずの赤ん坊は泣くばかりで、何度やっても、甘い香りのする食事に吸いついてはくれない。

どうすればいいのか解らないもどかしさと焦りは、やがて苛立ちに変わり、勇者の少年は形のよい眉をきっと吊り上げると、泣く赤ん坊に向かってついに叫んだ。

「いいかげんにしろ!男のくせに、いつまでもべそべそ泣くな!

いいか、男は一生に三度しか泣いちゃいけねえって言い伝えがあるんだ。この世に生まれた時と、母親が死んだ時と……」

あとひとつはなんだったか、一瞬迷ってあわてて続ける。

「さ、……財布を落とした時だ。いいか、男はその三回しか泣いちゃいけねえんだ。

腹が減ったくらいで泣くな。腹が減ったら泣くのを止めて、黙って飯を食えばいいだろ。それもわかんねえのか」

言って、勇者の少年は不意にはっとした。

(……もしかして、それもわからないんだったとしたら?)

お腹がすいた。

だから、空腹を満たしたい。

でも、どうすればいいのかわからない。空腹はとても不快だけれど、言葉を持たない赤子にはただ不快感だけが押し寄せて、その感覚の正体がなんなのかすらわからない。

泣くことは苦しい。本当は泣きやみたい。泣き過ぎると、疲れる。泣けば泣くほど苦しくなる。

でも、泣かないと気づいてもらえない。

助けてほしい。助けてほしい。

言葉を発せられず、体も動かせず、感情を訴えるすべも苦しみを解決するすべも知らない小さな赤子にただひとつ許されている方法が、泣くという最初で最後の手段だったのだとしたら。

(腹が減ったもなにも……、こいつには腹が減るってことがなんなのかも、まだわからないんだ)

頭に思いきり冷たい水を浴びせられたような気持ちになり、勇者の少年は悄然と黙り込んだ。

「……ごめんな」

真っ赤になって泣き続ける赤ん坊に、おずおずと手を伸ばす。

必死に泣き過ぎて汗ばんだ、しっとりと柔らかい肌に指が触れると、頭の隅に追いやられていた記憶がやっと戻って来る。

そうだ、シンシアがいつもやっている通りにすればいいんだ。

どうしてもっと早くこうしてあげなかったんだろう。

きっとまだ上手じゃないけど、俺にもちゃんと出来るはず。


だって俺は、父親だ。



母親よりずっと広く、引き締まった胸に抱きあげられて、赤ん坊は一瞬何が起こったのかわからないように、くっと鼻を鳴らして泣くのを止めた。

勇者の少年は心臓が喉から飛び出しそうなほど緊張しながら、まだ据わっていない赤ん坊の首をこわごわ手のひらで支え、小さな体を注意深く抱きしめた。

(あったかい)

うまく言えない、怖れにも似た、味わったことのない震えが胸を呼びさます。

丸い頭に恐る恐る頬をよせると、ミルクの甘ずっぱい匂いが鼻をくすぐる。

若い、未熟な父親の胸の底に、うずくような喜びがじわりと広がった。

これが、命のぬくもり。

この命は自分とシンシアのふたりが生み出したのだ。

かつて自分の存在は、多くの命を失わせてしまった。

でも今こうしてここに、新たな命が生まれている。



まだ見ぬ未来へとたしかに続く、あたらしい命の躍動を、自分は愛する者と共にこの世界へ生み出している。



「お……。お前、腹が減ってたんじゃないのか」

抱きよせた赤ん坊のお尻が濡れていることに気づき、勇者の少年はびっくりして小さな息子の顔を覗き込むと、無愛想な彼にしては非常に珍しく、「はは」と声を立てて笑った。

ひとしきり楽しそうに笑ってから、顔を引き締める。

「気づいてやれなくて、ごめんな。

言いたいことが思うように言えないって、大変なんだな」

だから、赤ん坊は泣くんだ。

それは見逃してはいけない、ひたむきな、大切なたったひとつの「生きたい」という命のサイン。

不思議な幸福感と、少しだけ芽生えた自信に包まれて、勇者の少年は左右を見渡して誰もいないのをもう一度確認すると、小さな息子の頬にそっと唇を押しあてた。
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