子守りをやってみよう



……お、にゃあああ


あんぎゃあああ


村の茂みから夜時々聞こえてくる、山猫同士の喧嘩のような泣き声に、勇者の少年ははっと目を開けた。

(やべぇ)

握り拳で、あわてて目をこする。

一体どのくらい時間が経ったのだろう。

半ば椅子からずり落ち、身体ごとベッドにもたれかかるようにしていつのまにか眠っていたのだ。

まだぼうっとした頭が一瞬、ここはどこだ、俺はなにをやってたんだと混乱に陥り、目の前で全力で泣いている赤ん坊を瞳に映すと、ようやく我に立ち返る。

(そうだ、シンシアはいない)

外出中の妻に今日一日の留守番を任されたのは自分で、つまり泣いている赤ん坊の面倒をみなければいけないのは、新米父親である自分の役目なのだ。

(確か、泣いたらミルク……だったよな)

勇者の少年は泣いている赤ん坊にさっと背を向け、急いで扉を開けて部屋を出た。

起きたばかりの赤ん坊をまずは抱きあげ、懐に抱いてぬくもりで落ちつかせてやるということが、彼にはわからない。

ほったらかされたままの赤ん坊は、顔を真っ赤にしてますます盛大に泣き始めた。

(あんなにちっちぇえのに、こんなでかい泣き声がどこから出るんだ?)

呆れつつ戸棚を開け、銀製の缶に入ったミルクを取り出しながら、

「待ってろ、すぐメシを作ってやるからな」

寝室に向かってなだめるように言い、勇者の少年はちょっと赤くなった。

あ、赤ん坊に話しかけてしまった。

でも、これってなんとなく親っぽい。

生まれたばかりの赤子ゆえ、まだ当然会話は出来ないが、こうやってこちらから絶えず話しかけていれば、もしかしたら声を覚えて俺が父親だってわかってもらえるようになるかもしれない。

シンシアもいない、誰も自分を見ていないのをいいことに、勇者の少年は迷った後、ためらいながらもう一度言った。


「待ってろ。すぐ、行くからな。


お前のと、と、と、と………とーさんが」


とたんにぶわっと顔から火が出て、勇者の少年は思わず粉ミルクをすくう匙を手から取り落とした。

甘い香りの粉末が飛び散り、テーブルは一面粉雪を浴びたように白くなる。鼻から思いきり粉を吸い込み、勇者の少年はくしゃみを連発すると、今度は哺乳瓶まで床に落としてしまった。

がちゃーん。

小気味良い音と共に、清潔な硝子瓶が壊れたパズルのように、ものの見事に砕け飛ぶ。

ああ、こういう失敗前にもやったよな……と勇者の少年は目の前が暗くなるのを感じ、はっとした。

隣の寝室からは、さらに音量を上げて火がついたように泣き続ける赤ん坊の声。

自分の馬鹿さ加減に呆れかえっている場合じゃない。

(仕方ない、掃除は後だ)

勇者の少年はテーブルの上にあったもうひとつの哺乳瓶で改めてミルクを作りなおすと、硝子の破片を踏まないよう身軽に飛び越え、大急ぎで赤ん坊の待つ寝室へ戻った。

小さな息子は天井を向き、このままだと体ごと爆発してしまうんじゃないのか、というくらい顔も手足も真っ赤にし、涙をぽろぽろこぼして泣き続けている。

腹が減ってるだけで、どこかが痛いわけでもないのに、どうしてこんなに泣くんだ?

必死に泣く赤子を見ているうちに、勇者の少年はだんだん不安になり始めた。

泣くより黙っていた方が絶対、喉は渇かないのに。それに身体じゅう真っ赤で、すごく苦しそうだ。

疲れたならさっさと泣きやめばいいのに、赤ん坊ってのは一度泣きだしてしまったらそう簡単に止まらないように出来ているんだろうか。

なんとかしてやりたい、という気持ちは山のようにあるのに、困惑と動揺が先に立ってとっさに体が動かない。

焦るあまり、抱きあげてやるという行為がどうしても頭に浮かばず、勇者の少年はベッドの横に膝をつくと、「ほら、飲め」と横たわったままの赤ん坊の唇に哺乳瓶の吸い口をぐいと押しこんだ。

赤ん坊はむせて咳き込み、ぷっと吸い口を吐きだす。

驚いたように濡れた瞳を大きく見開いて、ますます激しく泣き始めた。

(どうすればいいんだ!)

勇者の少年は、自分の方が泣きたくなった。
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