洗濯をやってみよう


「……これは……」


シンシアは驚きに絶句して、家の中をぽかんと見まわした。

ぴかぴかだ。

樫の木造りの床は隅々まで磨き抜かれて、えも言われぬ光沢を艶めかせ、こちらも樫材のテーブルの真ん中には、緑色の長方形のクロスが敷かれている。

その上に木製の丸い花瓶が置かれ、摘んで来たばかりの大小の花々が、色鮮やかな顔を上へ向けていた。

窓の外には、洗濯物がカイトのように心地良さげに風にはためいているのが見える。

(これ……、全部、あの子が?)

シンシアはそろり、そろりと確かめるように歩みを進め、さらに目を見開いた。


台所に、人が立っているのだ。



愛してやまない勇者の少年の、広くしなやかな背中。



湯気を吹き上げる鍋を覗き込んでは、杓子で慎重にかき回し、恐らく味見をしたかったのだろう、出し抜けにどぷっと人差し指を突っ込んで、「あちーっ!!」とひとりで飛び上がっている。

指にふーっ、ふーっと息を吹きかけて、ぱくりと口に入れる。

絵のように美しい横顔は、真剣そのもの。

眉をひそめて難しげに宙を見つめると、次の瞬間にっと小さく笑い、「うん、うまい」と誰に言うともなく満足げに呟いた。

(あの子が、お料理を作るなんて……)

シンシアはすこしも瞳を逸らすことが出来ずに、真直ぐに伸びた少年の背中を見つめた。

(手つきがぎくしゃくしてて、あれじゃわたしよりへたくそだよ。まるで、初めてままごとをする子供みたい。

……でも)

(こんなことを言ったら、怒るかな?)

(そうやって、慣れないことを一生懸命頑張るあなた、すごくかわいい)

(すごく、素敵)

そして、シンシアが最もほほえみを誘われたのは、いつも肩下まで垂らした長い髪を、彼が首の後ろで鳥の尾羽根のように無造作に結わえていることだった。

(お料理をする時は、髪を結ばなくちゃいけないんだってわたしが言ったことを、ちゃんと覚えてるんだね)

「いい匂い……。

これ、シチューだよね」

突然声をかけられ、勇者の少年は驚いて振り返った。

「シンシア!」

「小さい時からふたりで大好きだった、母さんのミルクたっぷりのシチュー。

あんまりいい匂いだから、おなかがすいて来ちゃった」

「お、お前……、もう平気なのか。

どこも痛くないか。熱は下がったのか。眩暈は。薬は……」

驚きと喜びが入り混じり、思わずいつものように質問攻めにしようとしてしまい、勇者の少年ははっと口をつぐんだ。

「……なんでもない。

起き上がれるようになって、よかったな」

「熱は、もう下がったみたいだよ」

シンシアは明るく笑った。

「全然きつくも、だるくもないの。たんぽぽの綿毛みたいに体が軽くて、今すぐ走り出せそうな気がするくらい。

クリフトさんに今度、お礼を言わなきゃね」

「なんで、あいつにお礼なんか言わなきゃいけないんだ」

「だってクリフトさんの薬のおかげで、こんなに短い時間で治ったんだもの」

「短いったって、丸三日も寝てたんだ。

薬の効果ももちろんあるだろうが、礼ならぐっすり眠って治してくれた、お前自身の体にまず言うべきだな」

「三日?」

シンシアは唖然とした。

「三日も眠ってたの、わたし?」

「正確には、二日と半分だ」

「そ、そのあいだ、あなたはどうしてたの?」

「どうって、べつに」

勇者の少年は、なんとなく顔を赤くした。

「眠ってるお前を見てたり……、本を読んだり、掃除や洗濯をしたり、木彫りを作ったりした。

飯も、自分で食った」

「何を食べたの?」

「その辺の石の裏側にへばりついてた、ヤマトカゲやアカハラカエル。

とっつかまえて生のまま、目玉も骨もまるごと食った」

「嘘」

シンシアが両手で口を押さえると、少年は「嘘だ」と無表情のままべっと舌を出した。

「お前が眠る前に焼いておいたパンがたくさんあったし、それに森のはずれで、でかいキジを一羽捕まえたんだ。

アンゼリカと一緒に焼いて、余った分はシチューに入れた。脂が乗ってて、うまいぞ」

「キジ……。そっか」

今の季節が、野鳥や小動物の多い夏でよかったと思い、シンシアはほっと胸を撫で下ろした。

「ずっとひとりにしちゃって、ごめんね」

「平気だ」

あまり平気ではなさそうな表情だったが、勇者の少年は頑強に言うと、ぷいと目を逸らした。

「俺のことなんかいい。

俺は男だし、もう大人だし、なにがあっても全然大丈夫だ。

だからお前は、これからはしんどい時は自分のことだけ考えろ。

苦しい時は、無理せずに休め。俺がついてる。

お前にはいつも、俺がいる。

どんな時も、絶対に」

シンシアは嬉しそうに頷いた。

「うん」

「……で、話は変わるけど」

唐突に甘い言葉を発したのが無性に恥ずかしくなったのか、かーっと耳まで赤くしながら、勇者の少年はそっぽをむいて続けた。

「じつは、謝っとかないといけないことがある」

「なあに?」

「その……いろいろあって、用途が変わったものがあるんだ」

「ヨウト?用途って?」

シンシアは不思議そうに、少年が気遅れ気味に指差す方向を見た。

テーブルの上の、たくさんの花が生けられた木製の瓶。

その下の、緑色の大きな長方形のクロス。

布地の四方はよく見ると糸で縫われているのではなく、あちこちから毛羽立ったささくれが、長さ違いの藁のように飛び出している。

どうやら緑色の布をハサミでじょきじょきと四角形に切り、無造作に敷いただけのもののようだ。

シンシアは眉を上げた。

「あれ……。この緑色の草木染め、もしかして、これって」

「三日前までは、俺の服だった」

勇者の少年の声が、気まり悪げにだんだん小さくなった。

「けど、いろいろあって……、そうじゃなくなった。

最初は、なんとかして元通りにしようと思った。でも、掃除も床磨きも出来たのに、縫い物だけはどうしても上手く行かなくて、結局このざまだ」

勇者の少年が広げてみせた両手に、まるで紅いインクをつけた羽根ペンを使って悪ふざけをしたかのように、無数の針の刺し傷があるのを見て、シンシアは驚愕した。

「た、大変!今すぐ治さなきゃ!ホイミの魔法を……!」

「いや、いい。ホイミは三日前に使っちまったから、もう止めておく。

人間の体には、自分で治そうとする力がある。非常事態以外での魔法治癒は出来るだけ行わないほうがいいんだ。

このくらいの傷、ほっときゃすぐに治るさ」

「三日前にホイミを使ったって、あなた、どこか怪我をしたの?」

「俺じゃなくて、ある意味、怪我をしたのは服だ」

「服が?」

きょとんとするシンシアに、勇者の少年は咳払いした。

「とにかく、そんなわけで俺には、破れた服を繕うことは出来なかった。

で、今はこんなふうにクロスとして変わったっつーか、変えたっつーか、そうするしかなかったっつーか……。

まあ、だから、つまりだ」

少年はぺこりと頭を下げた。


「……ごめん。シンシア。


大事な服を駄目にして、俺のせいだ」
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