王女と妖精の女同士の内緒の話


暖炉で踊る橙色の火が薪を飲み込み、ぱち、ぱちと小気味良い音を立てて爆ぜる。

おそらくリンゴの枝なのだろう、立ち昇る熱気には甘い香りが漂っていて、先ほどのワインの残り香と相俟って、えも言われぬ芳香で家じゅうを満たした。

裏の井戸から大盥に水を汲んでくると、クリフトは土間に降りてしゃがみ込み、てきぱきと汚れた食器を洗い、几帳面に水を切ってアリーナに手渡した。

アリーナはぼんやりとそれを木綿の布でぬぐっては、長方形の木籠に順番に並べた。

人気のない山奥の村の夜は、恐ろしいほど静かだ。

時折吹きつける風が揺らす窓枠のがたんという音でさえ、まるで雷が轟いたほどの音に聞こえる。

(こういうの、たとえばごく普通の夫婦だったら、毎日一緒にやるのかな)

アリーナは気づかれぬように、クリフトの横顔をそっと盗み見た。

(ごはんを食べて、並んで後片づけをして、他愛ないお喋りを笑いながら交わして。

そしてすべてが終わったら、くつろいで一緒にお茶を飲んで、同じ部屋で眠る)

早くに両親を亡くして、サランの修道院で孤児として暮らし、神学校でその能力を見いだされてからは、特別寄宿生としてひとりサントハイムの教会で年上の神父や司教と暮らして来たクリフト。

料理も掃除も洗濯もお手のもの、薬作りに裁縫まで楽々とこなす彼には、もはや妻など必要ないようにも思える。

(わたしと婚約してよかったって、少しくらいは思ってるのかしら?この人……)

「しかし、本当によかったですね」

「えっ?」

アリーナが驚いて皿を取り落としそうになるのを、クリフトはさっと手を出して支えた。

「大丈夫ですか」

「う、うん。ありがと。な……なにがよかったって?」

「あのお方のことです。あんなにおいしそうにお食事を召しあがって。

食べ物を飲み込むことを辛がり、小鳥がついばむ程度にしか食べられなかった旅の頃が、まるで嘘のようです」

クリフトが嬉しそうに言うのが勇者の少年のことだと気づいて、アリーナは頷いた。

「そうね。出会った頃に比べたら笑う回数も増えたし、顔色もずいぶん良くなったわ。シンシアさんの力ってすごいのね」

「これからはおふたりできっと、心安らかな日々を送っていけることでしょう」

「あのおふたりは、そうでしょうね」

アリーナは嫌みっぽく言った。

(なによ、自分のことはてんでのくせに、他人のことにはやたらと気が回るんだから!)

「ずっと気になっていたのです」

だがクリフトはそれに気づかず、静かに語り始めた。

「今日ここに来て、お二人のご様子を拝見して、ようやくわたしも胸のつかえが降りた心地です。

あれほど濃密な時を共に過ごした導かれし仲間が別れ、皆それぞれの国に帰り、それぞれの暮らしに戻り……。

だがあの方だけに、戻るべき暮らしがもうなかった。

マスタードラゴン様のあれほどの慰留も拒み、わたしたちやライアンさんやトルネコさん、仲間たち皆の共に暮らそうという誘いも断り、そうまでして彼はなぜこの村に戻ろうとするのか、正直わたしには解らなかったのです。

でも、今ならようやく解るような気がします。それはきっと、シンシアさんのためだけじゃない。

お気づきでしたか。あの方の作る木彫りは、いつも樫の木ばかり使っていた。野営の時、いつもエニシダの葉ばかりちぎってはもてあそんでいた。

この村を囲む樹木のほとんどは樫の木です。木の袂で膨らむのは、緑豊かなエニシダの茂みです。

旅の間どんな時も、あの方の心は常にこの村にあった。どんなに形を変えようとも、この村こそがあの方のたったひとつの帰る場所だった。


この広い世界で、こここそが紛れもないあの方の故郷だったのですよ」



(勝手なことを言うな。

俺の何をわかってるって言うんだ、お前が?)


照れ隠しにむっつりと顔をしかめて、今にも扉の向こうから勇者の少年が現れそうな気がしたが、シンシアが眠っている隣室は、しんと静寂を守ったままだった。

「きっとあのお方も、つられて一緒に眠ってしまわれたのでしょう。

シンシアさんにお聞きしたのですが、わたしたちがここを訪れると聞いてからずいぶん根を詰めて、家中の修繕をして下さったそうですよ」

クリフトは蒼い瞳を細め、まるで秘密を告げるように声を落として、アリーナに囁いた。

「木槌を打ちながら珍しく、鼻歌なんか歌っていたそうです。

風と鳥の歌を知る妖精の半身であるあの方は、どんな調べの歌を歌うのでしょうね、一体」
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