花
目の前に咲いているのは、たおやかに美しい白百合、マドンナリリー。
数年前、猛毒と瘴気に覆われたこの村の大地にも慈愛深き春の女神はほほえみ、まるで服を失くしたうっかり者の妖精にドレスを与えてくれるように、新芽萌え出づる緑を届けてくれた。
(……どうする)
純白の花弁を反らして凛と咲くその花を見つめ、かつて勇者と呼ばれた少年は、もう長いこと迷っていた。
摘んで帰るべきか。
それとも、このままにしておくべきか。
なにもわざわざ摘んで帰らなくても、ふたりっきりの狭い村の中だ。いつでも一緒に見に来ることは出来る。
でもそんな言い訳をこじつけちゃ、いつも製作用にと伐った木材と、空っぽの弁当箱以外は持たずに帰って来て、考えてみたら昔あげた木彫りの人形以外、まともなプレゼントだってまだ贈ったことがない。
(けど、花なんかであいつ喜ぶのか?)
彼女に花を贈るということは、鳥に羽根飾りを贈るとか、魚に真珠の鱗を贈るのと同じことじゃないのだろうか。
だって、彼女自身がなにより美しい花なのだから。
すんなりと形良く伸びた葉と、白鳥の翼のようにあでやかに開かれた花弁。
清楚な百合の姿に、神の奇跡で再び共に過ごすようになったエルフの少女の華奢すぎる手や、白いほほを思い浮かべ、少年は日頃の無愛想な彼からは想像もつかないほど表情を和らげて、ふっと小さく息を吐いた。
(やっぱ、やめだ)
ようやく命を取り戻したばかりの土に張った根と茎を、無残に切り離すのは忍びない。
それにきっと彼女のことだ、どこに咲いていたの?周りに他の植物はあったの?と、せっかくの花そっちのけで尋ねてくることだろう。
花よりも、花の咲く世界を愛する彼女。
花の美しさよりも、花を咲かせた世界の美しさを愛する彼女。
だとすれば自分があげるべきものはもう、とっくに決まっている。
ふたりは生まれた時からひとつの存在で、取り巻く光と風の世界すら、ふたりが共にあることで初めて色と形をなすのだから。
心臓が鼓動を速くし、喉まで弾む。
少年は何度目かの深呼吸のあと、少女と一緒に暮らす家の扉を開けた。
「あ、おかえり!」
花びらのように柔らかな声と笑顔と、幸福の雫を溢す温かな夕食の匂い。
引き締めた頬の内側が、きゅうっと酸っぱくなる。
「あのさ、シンシア」
少年は口を開いた。
少し頼りない声を精一杯張り上げて、今こそ少女に捧げるべきプレゼントを、震える唇から差し出した。
「頼みがあるんだ。急にじゃなくて、ずっと思ってた。
そろそろ、なってくれねえかな。
そのさ、俺の………」
数十秒後、今度は少年が少女から、とっておきのプレゼントを贈られる。
跳びはねるような抱擁と、キスの雨付きの「YES」。
ふたつがひとつであるあかし。
少年と少女が待ちわびた消えない光の中で、探し続けた永遠の花がようやく、咲いた。
-FIN-