How stupid of me!
女の魅力というものは、変化なのではないかと思う。
それはさながら、ある日突然硬いつぼみが花開くような、眠っていたさなぎが蝶に変身するような。今までとまったく違うものになる。別人のような姿を見せる。
そうかと思うと、一度変われば元の姿に決して戻ることのない自然界の掟と違い、彼女はまるで変幻自在の魔術師のように、じつにたやすくつぼみやさなぎの姿に立ち返ってしまう。
彼はそれに、いつも軽く混乱する。
混乱して、強く魅了される。
視界の先から消えたとたん、またあの姿を見たいと、飢えるほどに願う。願って、願って、そのうちほかのなにも手につかなくなって、頭がくらくらするほどに。
そう、いつだって見ていたいのだ。何度も、何度もまた見たいのだ。
薄紅色のつぼみがおずおずと花びらを開き、あざやかな朱色に咲き初めてゆくさまを。
虹色の濡れた羽根を広げ、なんとかして彼の両手からすり抜け空へ飛んで行こうと、声なき声を上げながら身をくねらせる妖しい蝶を。
(シンシア)
彼女は永遠に変化し続ける多角形の水晶鏡。
How stupid of me!
朝が来たとたん、もう夜になるのを待ち望んでいる自分を顧みて、かつて勇者と呼ばれた若者はうっすらと頬を赤らめた。
(俺……馬鹿なのかな)
薪割り仕事を終え、さっきまで斧を握っていた左手のひらをそっと開いて、見つめてみる。
剣士のわりにすんなりと長い自分の指。
その指が、昨晩彼女に施した不埒な悪戯すべてを思い出して、若者はひとりで身もだえするように「……っ」と頭を抱えた。
(やっぱり俺は、馬鹿だ)
どうにもうまく収めきれないこの感情。指先が覚えているなめらかさと柔らかさ。
今ここにはないそのぬくもりと、そこに触れた時のシンシアのせつなげな表情がありありと思い出され、勇者と呼ばれた若者は抱えた頭をぐしゃぐしゃとわしづかむと、うわーっと叫び出したくなった。
(こういうの、なんて言うんだ?
猿?獣?さかり?)
並べ立てると、なんて愚かしい単語だらけだ。そこには雄生来の行動欲求ばかりが凝縮して、およそ優しさやいたわりが感じられない。
(けど、ちょっと違う)
そういう、本能めいた渇望も確かにある。
だって、俺は間違いなく男だ。そこを美化する気はさらさらない。
あるのだけれど、どちらかと言うと自分のそれは、獣というより子供の心境に近いような気がする。
お気に入りのおもちゃでずっと遊んでいたい子供。
片時も離したくなくて、絶対に誰にも渡したくなくて、自分だけのものにして、どこに行くにも触れていたい。
だけど彼女は、おもちゃと言うにはあまりにいとおしすぎて、遊ぶというには繊細過ぎて、そして何よりひとりの存在として、自分自身の意思を持っていた。
「ねえ、どうしたの?こんなところに座り込んで、体が冷えちゃうよ」
背後から近付いてきた彼女に気づかなかったのは、よほど動揺していたからなのだろう。
シンシアに肩を叩かれて、勇者と呼ばれた若者は「わっ」と声を上げた。
つられてシンシアもびくっと身をすくめ、くすくすと笑い始めた。
「なに、驚いてるの?変なの」
「あ……いや」
「薪割り、終わったならおうちの中に入ろうよ。食事の支度が出来たから」
「うん」
勇者の若者は神妙にうなずいた。
「ありがとう」
「ふふ。うん」
(なにがありがとうだ。やっぱり、俺は馬鹿だ)
彼女の前だと、なんの照れもなくおかしいほど素直になってしまう。
こんな自分と、さっきまでの暴走しそうな感情をもてあましている自分は、本当に同一人物なのだろうか?
それを確かめたくなって、先を歩く彼女の体に、ふいに後ろから衝動的に腕を回した。シンシアが驚いたように振り返った。
そのまま引き寄せて、もがく彼女になかば無理やり唇を重ねる。
抱きすくめたきゃしゃな体が刹那こわばり、みるみる力が抜けるのがわかる。
唇で唇を開かせると、彼女のか細い手足が雨に濡れた若草のようにくたりとしなだれかかった。ぴんと伸びていた背筋がしなって、吐息が甘く弾む。
これだ。いつも、この瞬間なのだ。彼女がため息を洩らすと頭の中で火花が弾けて、もう何ひとつほかのことは考えられなくなる。
もしかして自分はこうやっていつも、まんまと罠にはまっているのだろうか。花と蝶の仕掛けた巧妙な陥し穽(あな)に。
彼女が花開くたび、羽根を広げるたび、そのなまめかしい変化に心を奪われて、己れが穽に堕ちてゆくことに気づかない、俺はやっぱり愚かな獣なのだろうか。
「急に、どうしたの?」
かすれた声で聞くシンシアは、少し笑っている。きっと、わがままな子供みたいだと思っているのだろう。
勇者の若者は囁いた。
「昨日の夜と同じことを、今からもう一度したい」
「でも、ごはんは?」
「後でいい」
獣でも、子供でもかまわない。どう思われようとかまわない。
性急な衝動は嵐みたいな速度で脈を打たせるけれど、そんなことももう、全部どうでもいい。
どうせきっと、また後悔するのだから。戸惑って自問自答する。すべてが終わったあとに。
飢えたように求めるだけ求めて、めまいのような嵐が過ぎ去って、やっと冷静になれたその時に。
俺は馬鹿なのかな?
わかるのは、馬鹿みたいに彼女のことを愛しているという事実だけだ。
もどかしげに白いうなじにくちづけながら、かつて勇者と呼ばれた若者はきつく目を閉じてまた、彼女の上で左手をひらひらと不埒に遊ばせた。
―FIN―