春~Spring has come~



もうとうに滅びた東方のとある国では、群青色のことを褐色と呼んだという。

かっしょく、つまりかちいろ。

それは「勝ち色」の響きを持ち、その国の戦士たちは縁起を担ぐため、こぞって自らの鎧兜に青い刺繍を打ち、同じ色の飾り紐を用いたそうだ。

それを聞いてから、青のマントをまとっていることが妙に誇らしくなったが、教えてくれた背の高い従者が続けた言葉には辟易だった。

「ですが、姫様。それはあくまでも男性のいでたちに限ってあてはまること。

たおやかな女人が勝ち色をまとって戦に臨むなどと、古き書物のどこをめくっても一行たりとも記されておりません。

いいですか、アリーナ様。旅の間は仕方ないとは言え、本来貴女様はもっと女性らしいお召し物を身につけるべきなのです。

大体、そ、そのように裾の短い服で腕やおみ足をあらわにされて、誰かに見られたらと思うとわたしは気が気では……い、いえ!」


あー、うるさい、うるさい。


積年の願いを叶えるため、城の者の目を盗んでようやく腕だめしの旅に飛びだしたはいいが、出発時点でいきなり計画に狂いが生じた。

「聞いてらっしゃいますか、姫様?

ですから、わたしはもう少し長めのスカートをお召しになるべきだと」

「ぴーぴーとうるさいのう。そういうそなたこそ、鼻の下を伸ばして姫の足ばかり眺めておったではないか。

それよりクリフト、儂をおぶれ。久方ぶりの徒歩の旅、すっかり腰に来てしもうたわい」

「だ、誰が鼻の下を伸ばしていたんですか!それにブライ様をおぶるなんて冗談じゃな……わっ、ちょっと待って下さいよ!」

「ほっほ。サントハイムの子泣きジジイとは儂のことじゃ。これも鍛練じゃよ。ほれ、さっさと歩かんか、のろま神官め」

「うう、お、重い……」

まるで親鳥の背中を追いかけるカルガモのように執拗に後を追って来る、小柄な白ひげの老人と背の高い蒼い目の青年。

頼んでもいないのにのこのこついて来た大小の男ふたり、老人の方はなにかにつけて愚痴をぼやいてはふんぞり返るし、また青年の方は寄るとさわると説教ばかり。

だいたい腰が痛いだの年寄りをこき使いおってだの、文句があるなら最初からついて来なければいいのだし、

青年のほうも人の格好にけちをつける暇があったら、その長すぎる帽子とか、芝草みたいな全身緑づくめの法衣とか、己れの服装センスにもっと冷静な目を向けるべきだ。

(こんなはずじゃなかったのに……)

わたしは従者なんていらないの。ひとりで腕試しをしたいのよ。

だからお前たちはさっさとお城に戻りなさい。

喉まで出かかった言葉は、だが振り返って彼らの顔を見たとたん、音に変わることなく鳩尾の底にすべり落ちた。

「姫様、共に参りましょう」

長い帽子についたひさしの下で、ふたつの蒼い瞳がにっこりと微笑む。

その後ろで鷹のような瞳の老人がふんと鼻を鳴らす。

「アリーナ様。わたしたちは、どこまでも貴女様と共に」

「勝手に複数形にするな。どこまでもとは言っとらんぞ、儂は。老人には歩むのが難しい場所がたくさんあるんじゃ。

おぬし、自分の言葉に責任を持てよ。険しい天嶮要塞、これからはどこまでも儂をおぶって進め」

「はいはい、解りました。まったく……ご老公の減らず口と来たら」

「返事は一回でいいんじゃ!この馬鹿者」

やいのやいのと取りとめもなく騒ぎ立てている二人から目を離し、アリーナは肩をすくめた。

(……ま、いっか)

旅は道づれ、世は情けと言う。

腕試しはひとりじゃなくても出来るし、姫と神官と魔法使いというおかしな面子で前人未到の冒険に臨むのも、それはそれで悪くないのかもしれない。

それに、と空を見上げる。視界にたちまちコバルトブルーの絨毯が敷かれる。

アリーナの視線に気づくと、青年と老人も眩しそうに目を細めて上空を振り仰いだ。

雲はない。

太陽もまだ悠然と南から動かない。


仲間と共に見るどこまでも続く完璧な青空、これこそが勝ち色というものではないだろうか?


「まこと……美しいの。

願わくば、この美しさが永遠に続く世界であって欲しいものじゃが」

背中におぶった老人の口から思わず洩れた呟きに、長帽子の神官は生真面目な表情で頷いた。

「そのために、わたしたちはこうして共に前に進むのです。

それに、三人という数は意外と縁起が良いのですよ。この空を包む勝利の色と同じように」

「どうして?」

また面倒な説教が始まってはたまらない、と思いながら、アリーナはつい興味にかられて尋ねた。

青年の言葉は堅苦しくて時に煩わしいが、その真摯な瞳を見ると不思議と心が安らぐことに、彼女はまだ気づいていなかった。

「三人の日、と書いて何と読むのかご存知ですか。

わたしはアリーナ様とブライ様と共に旅することが出来て、心から幸せに思っています」

それを聞いて背中の老人は小さく身じろぎすると、照れくさくなったのかぷいと反対側を向いてしまった。

アリーナは頭の中で字を組み立て、パズルが嵌まったようにひとつの立体が形作られることに気づいた。

(本当だわ!三人の日。三人でいられるって、すごく素敵なことなのね)

そうだ、自分はひとりじゃない。

この広い世界で、仲間がいるという幸福を与えられている。

それなのにどうして、必要じゃないとしか考えられなかったのだろう。

心にわだかまっていた、つまらないこだわりがにわかに消えて行く。旅に出てから初めて、三つの心がひとつに重なったような気がする。

その感触が消えやらぬうちに伝えなければと、アリーナはふたりの手を取った。驚いた背の高い青年の頬がぱっと赤くなる。

「クリフト、ブライ。こうして共に旅をする、お前たちはわたしの大切な仲間だわ。

わたし、お前たちと一緒に強くなりたい。

ひとりじゃないからこそ持てる強さを、三人で一緒に手に入れたいの。

だから、これからもどうぞよろしくね」

老人は断固として笑顔を作らず、重々しい仏頂面で頷くと、「この軟弱者、男のくせにでれでれするでない!」と目の前の長帽子をぽかりと杖で打った。

仰天した青年が叫び声を上げ、ふたたび始まった喧々囂々(けんけんごうごう)の騒ぎに背を向けて、アリーナは歩き始めた。

「ま、待って下さい。置いて行かないでください。姫様!」

「アリーナ姫。あまりそうさっさと進んではなりませぬぞ。石につまづいて転びでもしたら、どうするのじゃ」


だいじょうぶ、その時はちゃんと自分で起き上がるわ。


でも、もしもどうしても辛くて起き上がれない時は、お前たちふたりにわたしの手を引いてもらうからね。


わたしもお前たちの手を引くからね。


「さあ、もうすぐテンペの村に着くわ。このまま一気に行くわよ」

「はい!」

三者三様の足跡が、等間隔の歩幅を刻む。

そのうちのひとつは時折仲間の背中に移動して地表から消えたが、六つの瞳が捉える空の勝ち色は、違う高さでも同じきらめきを放っていた。

うららかな太陽。柔らかなそよ風。

抜けるような青空を傍らに、おてんば姫の行進はどこまでも続く。


三人の日、と書いてそこに現れるもの。



それは、「春」。




-FIN-


1/1ページ
スキ