恋と病と私
王女アリーナ、神官クリフト、魔法使いブライ。
老若男女の暗中模索、四字熟語を見事に押さえた奇妙な三人の旅は続く。
華麗に優勝をさらった、エンドールの武術大会が終了して祖国サントハイムに戻り、再び出立してから既に十日ほどが経過した。
懐かしい王城で遭遇したのは、国王、家臣に侍女侍従、衛兵から料理人、厩番に城下の民までひとり残らず煙のように消え失せるという、謎の神隠し。
青天の霹靂の悲劇は、勝利の喜びに冷や水を浴びせかけ、事件後、三人を包む旅の空気は一気に不穏になった。
不安に襲われると、まず眠れなくなる。
眠れなければ疲れが溜まる。疲れが溜まればまた、不安が襲う、の悪循環。
皆を助けたくとも、一体どうすればいいのか解らず焦燥ばかりがこみ上げ、
唯一の手掛かり「ピサロ」という名前を頼りに、捜索の手を国外へ広げたものの、これと言った成果も上がらず日数ばかりが過ぎて行く。
ともすれば折れそうな心を、無理矢理奮い立たせるのにもそろそろ疲れ、空元気もわざとらしさが付きまとうようになって来た頃。
「……ふっ……」
行軍中、突然こみ上げた嗚咽に、クリフトは急いで手で口元を押さえた。
「姫様、ブライ様、申し訳ありません。ちょっと……失礼ながら、憚りに」
「えーっ、またあ?」
遠慮なしに不満の声をあげて、アリーナははっとした。
(やだわ、わたしったらはしたない!
このところ気持ちに余裕がないから、女性らしい優しさが持てなくなっちゃってるのかしら。
厠くらい、いくらでも行かせてあげたらいいじゃない。クリフト、近頃よくお水を飲むものね)
「いいわよ、いってらっしゃい。飲んだら飲んだ分だけ排出しなきゃ体によくないわ。
気にしないで、どーんと好きなだけ出して来なさい!」
アリーナとしてはもちろん、精一杯気を利かせたひとことのつもりだったが、クリフトはかあっと顔を赤らめた。
「も、申し訳ありません」
「おぬし、さっきの宿場街でも厠にこもっておったな。腹具合でも悪いのか?
いい若いもんが、近すぎるのも考え物じゃわい。儂もこの年になるとめっきり辛抱が効かなくなった。
特に陽が落ちて気温が下がると、駄目じゃ。寒いといよいよ直通じゃ」
「すいません……失礼します」
クリフトはぎこちなく笑って頭を下げ、足早にふたりの前を離れた。
傍らに広がる灌木の茂みに飛び込むと、小走りに奥まで駆けていく。
最深部まで着くとあたりを見回し、誰もいないことを確認してから、崩れるように屈み込んだのは厠のためではなかった。
げほ、げほ、と激しく咳き込み、その場に両手両膝をつく。
声にならない嗚咽を、乱れた息と共に何度も洩らして、ぜいぜいと呻くと濡れた唇を拭う。
喉がひりついて痺れ、空気を吐くのも辛い。
まばたきするたび辺りの景色がねじれ、視界が楕円形に狭まって回る。
肘や膝、関節がきしむように痛むのは、熱がかなり高い証拠だ。
(参ったな……いつ、どこで貰ってしまったんだろう。
医者の不養生と言うけれど、薬学を修めた神官が、お守りするべき姫様を差し置いて病に冒されるなんて、無様にもほどがある……)
これは、言えない。
従者として、神官として、彼女にひとかたならぬ想いを抱く男として、絶対に言うわけにはいかない。
(効くかどうかわからないけれど、取りあえず飲んでおこう)
クリフトは懐からいつも持ち歩いている薬草袋を取り出すと、中から数種を選り分けてそっと口に入れた。
噛みしめて飲み込むが、鼻が効かなくなっているせいか、苦みも渋みもまったく感じない。
それでも薬を飲んだという対症行為は、几帳面な彼にいくばくかの安心感をもたらした。
(よし、頑張ろう)
もうすぐ港町コナンベリーだ。船に乗って海風に当たれば、原因不明のおかしな病も少しは快方に向かうだろう。
大陸を渡って最初に辿り着く街ミントスには、ヒルタンという伝説の商人がいるらしい。
商売とは、いかにいち早く世俗の情報を掴めるかの戦いでもある。きっとピサロという者についてのなんらかの手掛かりも、得ることが出来るに違いない。
(姫様にいつまでも悲しい思いを、させてはならない)
(姫様はいつも、笑顔でいなければならないんだ)
(そのためには、わたしが病気なんかになってる場合じゃないぞ!)
クリフトは両手で自分の頬を力を込めてぱあんと叩き、「よし!」と喝を入れた。
つらくない。
少しもつらくなんかない。
命より大切な姫様のために、わたしはこの身を賭してお役に立つのだ!
「あ、クリフト、お帰り」
「遅くなりましたが、只今戻りました」
背筋を伸ばして戻って来たクリフトに、アリーナはにっこりと笑いかけた。
「よかった。それじゃ、出発しましょ」
「はい!」
「なんじゃ、急に元気になりおって。おぬし、そんなに我慢しておったのか」
「人生、我慢が必要な時もあります。旅は長く、目指す道は険しく辛いもの。
ですがいつでも、希望は必ずわたしたちの前に輝いている。
張り切って参りましょう。姫様、ブライ様!」
「?……う、うん」
その時、意気揚々と先頭を歩き始めたクリフトの背中が、どうしてかいつもより小さく見えたような気がして、アリーナは不安そうに首を傾げた。
「大丈夫かな……?クリフト」
無理しないでね。
どうか、そんなに頑張らなくていいから、ずっと一緒にいて。
お願いだから、お前までわたしの傍からいなくなったりしないで。
お前がもしも病気にでもなったら、わたしは旅を続けられなくなっちゃうんだからね。
お前はわたしの手であり足。
手足が病気になったら、そこにくっついてる体も同じように駄目になっちゃうんだから。
だってそれが、一心同体ってことでしょ?
不安が思わず乙女心の甘い本音を喚起し、アリーナはひとりでぽっと赤くなった。
「と……とにかく、いつだってお前はわたしの横で、元気でいなきゃ許さないんだから。
……ね、クリフト」
でもご愛敬。
身分違いのふたりの愛と絆を不動のものにする、男一匹体を張った試練はもうすぐやって来る。
病気も時には後の幸せを呼ぶ辛口のハプニング、人生万事塞翁が馬。
天の神々もご笑覧あれ。
クリフトがミントスでばったり倒れるまで、あと一週間。
-FIN-