わたしは幸せ


「クリフト、浮気しないでね」

愛する姫の突然の言葉に、わたしは目を丸くした。

「……一体なぜ急に、そのようなことをおっしゃるのですか?」

「だって」

アリーナ姫は可愛らしく唇を尖らせた。

「男の人はちょいちょい浮気をするものだ、そういう生き物だってマーニャが言ってたからよ」

またしても情報源はマーニャさんか……。 

わたしは小さくため息をつくと、アリーナ様の両肩にそっと手を置いて、優しく引き寄せた。

「ご安心下さい。わたしはそのようなことは
致しませんし、そもそも男はそういう生き物だと決まっているわけではありません。

そのようにひとくくりに決めつけられては、世の中の男性たちはさぞ不本意でしょう」

「じゃあ、一体どんな人が浮気をするの?」

わたしは首を傾げて考え込んだ。

……どんな人?

浮気。気が浮く。気持ちが他に向かって浮き立ってしまう?

幼い頃からアリーナ姫ただひとりしか頭にないわたしには当然のことであるが、その感覚がまったくわからない。

なにしろ浮気という概念が、わたしの意識の中に存在しないのだ。最初から「ない」のだから、理解出来るはずもない。そして今後も理解出来ないまま、わたしはこの生涯を終えるだろう。

「よくわかりませんが……姫様、そもそもわたしたちの間で、それについて考える必要があるのでしょうか」

「どうして?恋人同士なら、互いに貞節を誓うのは大切なことじゃない」

「しかし、ありえないものについて考えても答えは出ませんし、起こらないことを憂えても意味はないでしょう。

こうしてふたりで過ごす大切な時間を、そのように空虚な議論に割く必要はないかと」

「ずいぶん堅苦しい言い方だけど……つまり、お前はそんなことは絶対にしない、っていうこと?」

「はい」

わたしは厳粛な顔で頷いた。

「決して」

「ありがと」

アリーナ姫は嬉しそうにほほえんだ。

「世界中の男の人がみんなクリフトみたいだったら、とても素敵でしょうね」

「人それぞれ事情があるのでしょうが……本当は皆、そうありたいのだと思いますよ。

大切な人だけを一途に愛することは、男にとって何にも変え難い幸せなのですから」

「じゃあ、クリフトは幸せなの?」

わたしは笑った。

「はい。心から」

「そっかぁ、よかった」

アリーナ姫も安心したようににっこりした。


「お前が笑っているのを見るのは、いつもとっても嬉しい。

お前が幸せだと、わたしもすごぉく幸せよ」


天使の羽根のように耳をくすぐる、甘くて優しいその言葉。

わたしは胸を突かれて息を呑んだ。

熱いなにかがせり上がってきたように胸が詰まり、不意に涙ぐみそうになるのをぐっとこらえる。

そんなわたしに気づかず、アリーナ姫はくるりと踵を返して元気よく歩き出した。

「じゃあクリフト、行きましょう」

恋人の浮気の不安は消え、満足した愛らしい背中。すんなり背筋の伸びた、ひまわりのような立ち姿。きらきらしたはちみつ色の髪の毛ひとすじまで、明るくすこやかな生命力にあふれている。

(なんてお可愛らしいのだろう)

彼女の何もかもがまぶしくて、美しい。 

わたしはこのお方を、この命の全てをかけて愛している。

そしてこのお方も、わたしのことを大事に想って下さっている。それがどんなに尊い奇跡なのか。あまりの幸福に体が震え、目もくらみそうだ。


(わたしは幸せだ)


アリーナ姫の背中を見つめながら、わたしは絞るように吐息をつく。

「どうしたの?」

いつまでも動こうとしないわたしにきづいて、アリーナ姫は訝しげに振り返った。

「……いえ、何も」

「あー、もしかして」

彼女は瞳をいたずらそうに輝かせる。

「もしかして、お前もわたしが浮気をしないかって心配になっちゃったの?

大丈夫よ!わたしのお前を好きな気持ちはすごく重いから、ぜんぜん浮かないもの。

そうね、たとえるならラリホーでぐーすか眠っちゃったトルネコの体みたいに」

わたしと姫は目を見交わし、同時に笑い出した。

声を出して笑いながら、まぶたの端から誰も気づかないくらい小さな涙の粒がこぼれる。

ああ、わたしは幸せだ。

生きていることは素晴らしい。

愛しくてならないお方に出会うことが出来た、わたしの人生は光り輝く宝物だ。

決して失いたくない。いつだって今がいちばん幸せで、わたしはきっとずっと幸せだ。

そう、これまでも、これからも。

そうさせてくれた彼女に心から感謝しながら、わたしは一歩ずつ歩き出した。



ーFINー





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