hair fairy~髪と、神と、女神と~



「……髪の精じゃなくて、わたし自身の……」

アリーナ姫はわたしを見つめると、思いがけず恥ずかしそうに頬を赤らめた。

幸いなことにどうやら、今度の言葉は彼女の気分を損ねずに済んだらしい。

「そ、そっか。わたしにも一応、魅力なんてものがあるのね。

それが髪に関係ないんだったら、嫌いな巻き毛もそう気にすることないかな」

「楽髪苦爪、という言葉があります。姫様」

わたしは微笑んで言った。

「楽しく過ごしている時は髪が伸び、苦しい時は爪が伸びるという意味です。

科学的根拠は定かではありませんが、貴女様の髪の自然な美しさは、辛い旅の中にあっても楽しむ心を決して失わない、勇気や強さの表れ。

楽しく過ごすというと、人は罪悪感を抱きがちです。ですがそれは決して、楽をするということではありません。

どんな状況も、楽しむ。

その前向きな気持ちが心を健やかにし、目の前の出来事に真摯に取り組ませ、やがては髪が伸びるのすら早く感じるようになるのです」

「確かに、なにかに夢中になっていたら、髪型を気にしてる余裕なんてなくなるわね」

「わたしは全力で戦った後の、ほつれて乱れた貴女の髪も好きですよ。

まるで額に月桂樹の冠を乗せた女神のようで」

「こんなくるくるの巻き毛でも?」

「古代の彫刻にもありますが、神々の髪は得てして巻き毛が多いのです。むしろ自慢に思って下さい」

「かみがみのかみ?なんだか舌を噛みそうねえ。

あーあ、結局いつも通り、最後はお前のお説教で煙に巻かれちゃった気がするわ」

アリーナ姫はまだ納得できない様子だったが、わたしが再び櫛で髪を梳かし始めると、心地よさそうに目を閉じた。

「気持ちいいな。お母さんに毛づくろいされる子猫になったみたい」

「編むのはおひとつでいいですか」

「うん」

「編み紐のお色は?鎖と宝珠は付けますか」

「ううん、いらない。後は眠るだけだもの。

紐は麻を青く染めたのにして。お前の瞳と同じ色よ」

「ではこの紐にわたしのふたつの目の念を乗せて、姫様の髪の妖精にうんと睨みを利かせましょう」

「どうして?」

「これ以上、わたし以外の者に姫様の魅力を振りまかないでくれ、と。

目の前に現れる男全てが姫様に夢中になったら、気が気ではありません」

「じゃあわたしの髪に住む妖精は、お前専属ってことにするわ。

いつもお前だけを誘惑する、それだったら文句ないでしょ」

アリーナ姫はうふふと意味ありげに笑って振り返り、背伸びしてわたしの耳をそっと掴んだ。

突然手から離れた髪がはらりと空を揺れ、せっかく編みかけていた三つの束がばらばらにほどける。

耳朶をくすぐる忍びやかな囁き。

「それとももっと、ほかのやり方で誘惑したほうがいい?

お前はどうして欲しいの、クリフト」

「い、い、いえ!わたしはべつに……!」

わたしは真っ赤になって首を振った。

そんなつもりで貴女の傍にいるわけじゃない。

こうして、髪に触れるだけでいい。

わたしは純粋に貴女を愛していて、ふたりきりになればすぐそんなことを考える、お腹をすかせた狼みたいな輩とは違うのです!

だがそう言いたかったはずなのに、唇が唇と重なり、細い腕が背中にきつく回された途端、わたしは言うべき言葉を失くしてしまう。

閉じた瞼の裏。

積み上げた自制が哀れ崩れて行く。

純粋って何だろう?

こうして彼女の温もりをいとしく思うのも、男だからつい衝動にかられる動物的本能のなれの果て?

(だったらわたしは)

残念ながらやっぱりどうしようもなく、男だ。

不純でもなんでも、この手で愛する貴女に触れたい。

言葉では足りない愛情を全身で伝えたい。



見えない妖精に誘惑されても。





女神と同じ形の髪に棲む、妖しいハーピイの魔力に惹かれて、永遠にあやつり糸から逃れられないマリオネットになったとしても。
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