kiss and cry
これまで唯唯諾諾と、目の前の仕事を几帳面にこなし続けて来た、生真面目な新しい国王。
その予期せぬ反乱のような言葉に、大臣たちは呆然とし、二の句が継げなくなった。
クリフト王は振り返ってしゃがみ込み、平伏したままの庭師の手を取った。
「アキレスさん。お顔を上げて下さい」
「クリフトさ……い、いや、陛下……」
「クリフトでも、陛下でも、どうとでも呼んで下さって構いません」
クリフトはほほえんで手を上げ、園庭に立ち並ぶ梢の整えられた樹木を指し示した。
「たったおひとりで、この城を囲む庭をこんなに綺麗にして下さって、ありがとうございます。
遅くなりましたが我々、城の住人もこれよりお手伝い致します。
今後は十分にお体をいとい、テンペ村の復興にご尽力なさいますように。
わたしも準備を整え次第、すぐにテンペに向かいます。サントハイム王家は、苦しむ民を決して見捨てない。
この国はいつも、この国に住まう民と共にある。ひと足先にお行きあって、村の皆さんにそうお伝え願えますか」
庭師アキレスの顔に、驚きと戸惑いが広がった。
「……お、王様ご本人が、直々にテンペに?」
「本当はもっと早く出向きたかったのですが、国王の仕事という名の煩雑な執務に追われる中、なかなかそれを口にする勇気がなかったのです。
これからは、王の職務のあり方についても、改めて考えたいと思います。
山と積まれた書類に決裁の印を押すことは、なにも王本人でなければ絶対に出来ないわけではない。
それに……」
クリフトは強張った空気を和らげるように、破顔した。
「こう見えても、わたしは意外と役に立ちますよ。
腕力では到底妻に敵わず、死の魔法とて既に手放しましたが、日々玉座に反り返っていても、それなりに働ける身体はまだ持っています。
それにテンペは、かつて妻と共に籠に入って魔物を待ち受けたという、特別な思い出の村でもあるのです。
是非とも再び、助けにならせて頂きたい」
そこまで言って、クリフトは声を張り上げた。
「さあ、わたしの後ろに数多く控えるお大臣がた。
そうやって軍隊アリのようにずらりと並んでいる暇があれば、その重々しい上着を脱いで、わたしといっしょにこの庭の木の剪定を手伝って下さいませんか。
これだけの人数が全力で取りかかれば、なにも職人ギルドと契約するまでもない、ものの一日で作業は終わるでしょう。
仕事とは、要領と優先順位と手際の良さ次第で、同じ状況にあってもいくらでも違う結果を出せるものですよ」
そう言うやいなや、若き国王は驚くほど身軽な動作で木によじ登り、鋏で枝をてきぱきと切り落とし始める。
家臣たちは仰天した。
「へ、陛下っ!なんという不調法な……!」
「信じ難い、国王にあるまじきご無体……!」
「卑しくも一国のあるじがそのような……!」
「王家の長としての高貴なるお立場が……!」
「それと、今さらですが」
クリフトはえへんと咳払いして告げた。
「わたしは本当は、集団行動というものが苦手なのです。
かつての旅のさなかも、想いを寄せるあるじの背中ばかり追いかけ、それ以外にまったく注意を払うことが出来ず、仲間の先導者たるお方によく嫌味を言われました。
クリフト、お前は姫御前狂の救いようがない悪魔神官だ、とね。
ですからこのように大勢の方と日夜過ごしても、わたし自身の不行き届きでご迷惑をかけるばかりでしょうし、
いっそのこと人事にてこを入れ、思いきって大臣と執務官を、大幅減員してもいいのではないかと考えているのですよ。正直なところ」
突然の明瞭な最後通牒に、行列に並んだ大臣たちの顔が、さーっと青ざめる。
クリフトは虫も殺さぬ顔でにっこりと笑った。
「皆さん、手伝って下さいますか?」
「は、はいっ!なんなりと。
園庭の整備でも城の掃除でも、なんでも致します!陛下っ!」
「であれば、その仰々しいお召し物は脱いでしまった方がいいかと」
「か、かしこまりました!」
気難しい大臣たちが一斉に豪華な衣装を脱いで、競争する子供のように、うんせわっせと木によじ登る。
その様子を唖然と見ていた庭師のアキレスは、傍らの木の梢の上でくすくすと楽しげに笑う若い国王の、澄んだ瞳を見た。
(王様の……いや、
クリフトさんの目……)
空と同じ色だ。
晴れたり曇ったり、時々は雨を降らせたりするけれど、
でもそれはいつも、高い所にあって蒼い。
「あーっ、そこでみんなでなにやってるの?木登り競争?
ずるいわ!わたしも混ぜてよ!」
その時、頭上から突然えいやっという気合いの声が聞こえ、クリフトは顔を上げてぎょっとした。
「わっ、い、いけません!
これは木登り遊びではありません、アリーナさ……!!」
「みんなで楽しんでるのに、わたしだけのけものにするなんて意地悪だわ。今すぐ仲間に入る!」
王城正門の二階の窓から身を乗り出し、ドレスの裾を手でたぐってためらいもせず飛び降りた者の正体は、言わずもがな。
唐突に上空から現れた、愛する伴侶の体をなんとか受け止めようと、クリフトは焦って両手を宙に突き出し、
ぼきっ。
その瞬間、庭師が丹精込めて整えた園庭の楡の木の枝が、ものの見事に折れた。
クリフトは飛び降りて来たアリーナを背中でキャッチする格好で、どすんと地面に落ちた。
「……だ、大丈夫?
みんながあんまり楽しそうだったから、羨ましくてちょっと、急ぎすぎちゃった……。
ごめんね、クリフト」
「は、はい……。
アリーナ様にお怪我がなくて、なにより……です」
クリフトはアリーナを背中に乗せて倒れたまま、潰れたカエルのような声を出した。
呆然とこちらを見つめる家臣らに向かって、ははは……と、弱々しく笑ってみせる。
「これでまたひとつ、皆さんのお仕事を増やしてしまいました。
みっともなくて頼りない、未熟者の国王で、まことに申し訳ありません。
それでも、わたしはわたし。
皆さん、共に一歩一歩、迷いながら前に進んで行きましょうね」
きょとんとまばたきするアリーナの下で、クリフトが「重いです、アリーナ様」と言い、アリーナははっとして背中から降りた。
「本当にごめんなさい、クリフト!
痛い思いをさせて悪かったわ。お詫びになんでも言うことを聞くから、許して」
「……ほんとですか?」
「ほんとよ」
「では、わたしの髪型がお気に召さなくとも、その点はこれからも目をつぶって下さいませんか。
たとえ国王の威厳に欠けようと、わたしには長髪はどうも向かないようなので」
「え?」
クリフトは片目をつぶって笑った。
「ドングリのヘタとか、鉄兜みたいなおかしな髪型でも、変わらず好きでいて下さい。わたしの愛する奥方様」
「な……」
アリーナの目が丸くなり、みるみる頬が真っ赤になった。
「ま、まさかお前、あのとき、起きて………!」
「アリーナ様を欺く気など毛頭ありませんでしたが、つい興趣にかられ、目を開けそびれてしまいました。
でもわたしは、貴女の素直な涙に触れることが出来て、とても嬉しかっ……、
あーーーっ!!」
サントハイム城にて勤労する庭師と大臣、執務官らの眼前で、この国で最も偉大なはずの国王の頭に、新妻の怒りの鉄拳が振り下ろされた。
「い、痛い……。
怒ったアリーナ様の拳、ものすごく痛い……。
この際、もう一度泣いてしまおうかな。そうしてもいいって言われたし」
すっかり腹を立て、ずかずかと歩き去って行くいとしい彼女の背中を目で追いながら、クリフトは呟いた。
でも、我慢しよう。
泣くのは最後に取っておこう。
涙の後には、甘く優しいキスが降るのを知っているから。
前を向く強さがこぼすうつくしい涙は、わたしたちの小さくても確かな成長、
生きとし生ける者が繰り返すKiss and cry。
-FIN-