kiss and cry
ひとりの人間としてこの世に生まれて、成長と苦悩の変遷を重ねて、やがて大人と呼ばれる年齢になって。
でも恥ずかしいことなら、子供の頃と同じく、いや、むしろ倍ほどもたくさんあった。
卑しくも一国の王たる立場に身を置く者、ずらりとひれ伏す家臣の前でみっともなく慌てるわけにはいかないし、
無様な失態を見せて、所詮神に祈るしか出来ぬ元聖職者の若造ゆえ、さもありなんと侮られるわけにもいかない。
だから国王として即位してから毎晩、遅くまで机にかじりついて必死で勉強した。
帝王学、政治学。執務、公務、玉音たる演説のこなし方。
王としての立ち居振る舞い、食事のマナー、行幸の際の歩き方から挨拶の手を上げる角度まで。
分厚い書物にくどくどと並んだ、最高施政者の身につけるべき外交術。
出典は文明論之概略、其外国交際の法の如きは、権謀術数至らざる所なしと云ふも可なり。
わからない。
わからない。
なにもかもわからない。
今までお供として慎ましく生きて来た者が、今は大仰な冠を額に乗せて、ぞろぞろお供を連れていることの滑稽さ。
聖書のありがたい文句なんて、玉座の上ではただのひとつも役に立たない。
なにも知らない自分が恥ずかしい。
それを皆に見破られるのが恥ずかしい。
自分は舞台に祭り上げられて踊らされる、ただの道化師なのではないかという煩悶は、いつまでたっても治らない切り傷のように、日々クリフトを苛んだ。
投げだすことが出来ないのなら、せめて誰かに聞いてほしかった。
苦しくて、つらくて、でも答えの出ないこの胸の内を、この所めったに言えなくなった軽口と共に、誰かに思うさま打ち明けたかった。
でも、石造りの絢爛豪華な城の中には、誰もその相手がいなかった。
いないと思っていた。
ずっと。
「泣きやんだの?クリフト」
「……はい」
泣いてもいいんだよ、と言われると、不思議と涙が止まるのはどうしてなのだろう。
自分の全てを受け止めてくれる人がいるという喜びは、べホマの魔法よりも強く心を癒してくれる。
力を与えてくれる。
みっともない己れを全部受け止めてくれる相手が、そのくせ自分は決して、面と向かって涙を見せようとしない。
それはきっと、まだまだこの身が彼女の完全な心のよりどころとして、頼られてはいないからなのかもしれない。
だとすればわたしには、愚痴をこぼしている暇はない。
後悔する暇も、空を見上げてため息をついている暇もない。
わたしは、貴女に涙を見せてもらえる人間になりたい。
貴女がひそやかに落とすうつくしい涙を、この胸で堂々と受け止めてあげられる人間になりたい。
それこそが強さ。
涙を見せられる強さも、涙を押し殺す強さも、涙を受け止める強さも全部手にしたい、
わたしはきっと、世界一欲張りで我儘な王様だ。