導火線の火
「……んっ、あ……」
閉めきった部屋の暗闇にきしんだ音が響くのは、磨き抜かれた大理石の床と、その上で揺れる寝台の四本の足が行ったり来たり、こすれ合うからだ。
耳元で乱れた吐息が甘くこぼれるたび、頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
血が出るほど唇を噛み、髪をかきむしってわああっと叫んでもきっと、すこしも心は鎮まらないだろう。
導火線の先はすでに火花を散らし、ばちばちと音を立てて弾け、最後の爆発を迎えるまでもう、誰にも消すことは出来ない。
誰か。
誰か、止めて。
このままだと、わたしは、このお方を。
そう思うそばから、手が、指が、唇が、理性をむざむざと裏切って行く。
腕の中でいとしい少女の体が柳のようにしなり、悲鳴にも似た短い言葉を叫んだ。だが、聞き取れなかった。
眉間に小さな縦皺を刻み、なにかを必死でこらえているその表情は、心地良いどころかむしろひどく苦しげに見える。
彼女を苦しめたいと思ったことなんてない。
たとえこの身が地獄の業火で焼き尽くされても、優しさをひとつかみにたばねた花束を渡すように、幸福なほほえみだけを授けたい。
それなのに、
それなのに、
それなのに。
彼女の指が震えながら虚空をうごめく。
「ああ、クリフト。もう駄目………」
ほら、目を醒ませ、クリフト。
正気に戻れ。
彼女が駄目だとおっしゃっているじゃないか。
ほつれた髪が散らばるうなじを薔薇色に染めて、気を失う寸前のようにぐったりして、息も絶え絶えに彼女が限界を訴えている。
なのにどうして、わたしは。
それに逆らうように細い体を引き寄せ、たまらなく喉が乾いた者が無我夢中で水を求めるように、背中を屈めて再び彼女に溺れ込む。
何度も、何度も溺れ込む。
そのたびに、わたしがわたしを裏切っていく。
弱々しく開いた彼女の唇から、もう一度「駄目」という呟きが洩れた。
わたしはかまわずその唇に唇を重ね、言うことを聞かない駄々っ子のようにかたくなに首を振った。
「嫌だ。………もっと。
もっと、欲しいのです。アリーナ様」
こんな時ですら敬語を捨て去ることが出来ない、己れの不甲斐なさが痛切に歯痒い。
こうしてわたしはいつも中途半端だ。
謹直誠実な芯からの忠臣にもなりきれず、さりとて恍惚に我を忘れて彼女を翻弄する、我儘な恋人にもなりきれない。
それでもこの身は永劫に燃え尽きない導火線をたたえ、嗜虐の砂鉄にまみれた熱線は、不意の着火を虎視眈々と待っている。
「もっと」
わたしは熱に浮かされたように、かすれた声で囁き続けた。
「アリーナ様、もっと」
彼女の喉がぐんと伸び、こらえきれずに掴んだベッドの柵が、不吉にきしんだ音を立てる。
もっと、
もっと、
もっと。
からめた指と指が、波に揉まれる海藻のようにまとわり合う。
視界が白い霧に包まれる。
彼女がわたしの名を叫ぶ。
わたしはまた、何も考えられなくなる。
境界線を越えた火花が散る。
導火線の火は、まだ消えない。
-FIN-