kiss and cry





ねえ、いいんだよ。


泣いてもいいんだよ。



涙を隠して囁かれたその言葉は、わたしの生涯の大切な宝物になった。






Kiss and cry







サントハイム城の長い一日が、ようやく終わる。

夕暮れが西の山稜を橙に染めて沈み、訪れたばかりの静寂に、丸一日公務をこなして疲れた身体を憩わせる、夜。

最敬礼する護衛兵に会釈し、国王夫妻専用の寝室の扉が閉められる音を背中で聞くと、

身体が一気に重くなった気がして、クリフトはソファに倒れるように身を沈め、ふーっと息を吐いた。


……疲れた。


長年想い続けたアリーナ王女との夢のような婚姻を機に、神官から一国の王へ華々しい転職を遂げて、早や数ヶ月。

国王の暮らしにはまだ慣れない。

豪華絢爛な住まいにも、刺繍だらけの仰々しい衣装にも未だ違和感をぬぐえず、

またどこへ行くにも太刀持ちや小姓や執務官がぞろぞろ着いて来て、若き新王の一挙手一投足を固唾を飲んで見守る。

堅苦しさを取り払い、いっそ仲良くなろうと冗談でも口にしようとしたが、

「陛下の綸言、汗の如し」とばかりにみな目を血走らせて聞き入るので、返って緊張してしまい、思い付きで物を言うのは止めた。


疲れる。


ひと時も安らげない。


とにかく疲れるのだ、王様というものは。


弱冠十三歳で玉座に着き、三十年以上もの長きに渡ってその地位を揺るぎなく守り続けたアリーナの父、アル・アリアス二十四世が、

娘婿のクリフトに譲位するにあたって妙に浮き浮きと嬉しげだったことも、今なら納得が行くような気がする。

鉄の牢獄に押し込められ、黄金の鎖に繋がれて毎日を過ごすようなこの閉塞感から解放される喜びたるや、常人には計り知れぬものがあるだろう。


後悔はない。


誓って言える。


決して、後悔はない。


だがこの世に生まれて二十余年、自分の人生が残りあとどのくらいかは解らないが、

その全てをこうしてがんじがらめに縛られて生きるのかと思うと、倦んだ吐息が無意識に口をついて出るのを止めようがない。

ソファから力なく立ち上がって窓際に寄り、闇に包まれた夜空を見上げる。

かつて教会の窓から見上げた時よりも、近くにある空。

今宵は星のひとしずくも見受けられない。

(そういえば、最近ゆっくり神に祈りを捧げてもいなかったな。

教会や城内の聖堂に足を運ぶ暇もない……)


三度の食事より大切だった毎日の習慣が、嵐のように目まぐるしい環境の変化と共に、いつしか自分の生活から失われて行く。


闇の向こうに凝然と佇む、物言わぬ神から責められているかのようで、クリフトは星のない空から目を逸らし、小さくため息をついた。
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