flavor of love
摘みたての黒ブドウを房のまま、丸ごとオークの大桶に入れ、両足で躊躇いなく、踊るように踏む。
つややかな皮も実も、まるで臙脂色の海に沈む水飴のように形をとどめず潰したら、綺麗に濾して、しっかりと桶に蓋をする。
すると時を待たずして、発酵が始まる。酵母の働きにより、ブドウに含まれている糖分がアルコールへと変化するのだ。
それがワインの造り方。
あとは時間をかけて、丁寧に大事に慎重に、うんとおいしく育つのを待つ。
恋もお酒も醸すもの。
Sweetに溶けるあるかなきかの微量のSpice、大人には必要な誘惑のFlavor。
flavor of love
「只今帰りましたぁ。ひーめ、さまぁ」
もう結婚して一年を過ぎようというのに、姫様というかつての呼称で呼ぶのは、脳味噌の底まですっかりご酩酊のあかし。
おまけに調子外れの、変ロ長調三拍子の節までついている。
ベッドにもぐったアリーナのこめかみが、怒りで震えた。
帰って来たら、ぐっすり眠ったふりをして完全無視しようと決めていたのだが、実際は待っている間に苛々しすぎて、ぐっすりどころか一睡も出来ていない。
今宵の諸国同盟との晩餐会、高貴なるサントハイムの国王陛下は、社交辞令のお追従と共に、いったい何杯飲まされたのやら……。
「……お酒臭い」
狸寝入りは諦めて、アリーナは渋々ベッドから起き上がると、扉にもたれかかっているクリフトをぎろっと睨んだ。
「すっごく、お酒臭いわ。
お前ひとりが入って来ただけで、部屋中がお酒の匂いでいっぱいよ。クリフト」
「え、そうですか」
クリフトは焦点の合わない目で、アリーナの顔の輪郭を辿ると、にこっと笑った。
「お酒臭さの原因とはですねぇ、体内に摂取したアルコールが、アセトアルデヒドに分解されることによって発せられるのです。
だからわたしの体の中は今きっと、アセトアルデヒドが200%満員御礼状態なんだろうな。
アセトアルデヒド様、ふつつか者の器ですが、ぜひとも仲良くしてください。お願いします」
自分の胸の真ん中あたりをぽんぽんと掌で叩き、見えないアセトアルデヒドと楽しげに友好を深めているクリフトを見て、アリーナは眉を吊り上げた。
あー、酔っ払い、むかつくわ!
元聖職者でおまけに下戸で、日頃まったく酒を口にしない夫が、半ば這うようにして国王夫妻の寝室に戻って来たのは、もうほとんど夜明けも近い頃だった。
晩餐会が大の苦手な自分は、主催者として最後まで残らなければならない夫を残し、各国の王侯大使にひと通りの挨拶をすませると、とっとと広間を後にして部屋に戻った。
それは確かに悪かったと思う。
サントハイムの外交を担う国王の妻として、華やかな宴を率先して盛り上げるべき貴婦人として、あまりに無責任で愛想のない態度だったと。
でも、だからといって。
(進められるまま馬鹿正直に、どれだけ飲めば気が済むのよ!
飲むふりをして、庭園の薔薇の花にでもこっそりお酒をかけて、もう無理ですって適当に断ればいいじゃないの!)
まだ即位して一年足らずの若い国王は、とにかく人当たりがよく、誰の前でもにこにこと笑顔を崩さないので、諸外国の老獪な大使たちには、ひどく与しやすく思えるらしい。
民間出身の元神官という、異例の新王になんとか取り入ろうと、晩餐会が始まるやいなや国王の前には御酌の栄を得るための行列がずらっと並び、
そのひとつひとつに、クリフトは几帳面な礼を返すと、飲めない酒を息といっしょに飲み込むように、喉をのけぞらせて全て干した。
懇親を名目とした、権謀術数渦巻く外交の場である晩餐会では、酒は様々な条約を結ぶための強力な武器。
こいつは弱い、あと何杯か飲ませれば落とせる、と察知されると、矢も盾もなく杯に注がれ、注がれ、減ってもいないのにどんどん足すものだから、最後の方は注ぎすぎて表面張力が出来ている。
だがそこは賢くも、と言うべきか、何十杯も立てつづけに飲まされて、ものの一時間足らずでクリフトはまっすぐ立っているのもあやういほど酔ってしまったが、
それでも列国の大使たちが聞き出したい国家機密、サントハイムの政治経済における重要事項をつつかれても、顔を真っ赤にしてほほえむだけで、決して口を滑らせたりはしないのだった。
酔っているクリフトを見るのは、いつもと違う一面を目にして可愛いと思う反面、なぜかものすごく憎らしい。
なにを、わたし以外の人の前でへらへら楽しそうにしているのだと、理不尽な焼きもちを焼いてしまう。
晩餐会のテーブルの下には、飲み残し専用の桶が隠し置かれていて、暗黙の了解で飲んだふりをして、密かに杯の中の酒を捨てることはいくらでも出来たのだが、
相手の目を見て乾杯を交わした後、飲む演技でその場を取り繕って、まだ綺麗な酒をこっそり捨てるなど、生真面目なクリフトが出来るはずもないことを、アリーナは知っていた。
でも、腹が立つ。
愛する人が酒を飲み過ぎると、なぜだろう、どうにも腹が立つ。