黄金の指輪〜日食の願い〜
まだ、ずっと遠くにあると思っていた日差しがこのところぐんと近づいて、森の木むらを青く塗り上げ、天を漂う雲が日ごとに豊かにふくらみを増している、初夏。
陽光はあたたかく、鳥は梢に止まると季節の移ろいを存分に謳歌するように、彼らだけの陽気なマドリガルをさえずっている。
サントハイムの王女アリーナは、風雅な王城のアーチ型回廊を抜けた広い庭園に、もうずいぶん前から居座っていた。
長い旅のあいだひとときも手放さなかった、お気に入りの濃紺の三角帽子を外すと、手入れされた芝の上に座り込み、空を見上げては目をつぶり、また目を開けては空を見上げ、の動作を繰り返している。
「姫様、なにをなさっておられるのですか?」
後ろから薄墨色の人の影が被さり、同時に少し気がかりそうな、優しい声がかけられた。
教会お仕着せの、ひさしの着いた長い聖帽と法衣。こちらも旅の頃から全く変わっていない、幼なじみの神官クリフトの正装だ。
「もう、ずいぶん長いことこちらにおいでになります。初夏とはいえ、日陰はまだ冷えます。あまり風にあたり過ぎると、お体に障りましょう」
「練習をしているのよ」
アリーナは振り返ってクリフトだと確かめると――もっとも、そんなことをしなくてもクリフトだととっくにわかっていたのだが――もう一度視線を空へ戻した。
「城じゅうの人間が、毎日大騒ぎしているんだもの。もうすぐ、とても珍しい金環日食なんでしょう?
めったに見られない太陽と月の作る不思議を、わたしもこの目で見てみたいわ。でも、太陽をじっと見ると目が焼けてしまうから、こうして一瞬だけ見て、すぐに目を離して、って今のうちに練習をしているの」
「練習をしたって、駄目ですよ」
クリフトは笑って、アリーナの隣に並んで腰を下ろした。
「万物を照らす太陽の力を、侮ってはなりません。どれほど刹那にちらりと盗み見ようとも、太陽の灼熱の炎は人の子の網膜に確実なダメージを与えます。
たとえごく短い時間であろうとも、じかに太陽を目にすることは絶対になりませんよ。姫様」
「だったらどうやって、世にも珍しい日食を見ればいいの」
「科学者のあいだでは、光を遮断する特別な眼鏡が出回っているようですが」
「そんなもの、手に入れてもらえるわけないわ。お父様はきっと、お前は騒ぎ立てるから大人しく部屋にいろってそっけなく言うだけよ」
「でしたら……、そうですね」
クリフトは考えて、「木洩れ日のすきまから太陽を眺めるのでしたら、目への負担もずいぶん軽減されるかもしれません」と言った。
「木洩れ日の、すきまから?」
「森へ行き、木の葉と木の葉のかさなる隙間から透かし見える日食の姿を眺めるのです。
直射日光の矢は幾重もの葉影に遮られ、その輝きが瞳へ届く頃には、若葉色の衣をまとったきらめく黄金の指輪へと変じているでしょう」
「……素敵」
アリーナはうっとりとため息をついた。
「星と月と太陽が一直線に並ぶ金環日食の時、たった一日だけ、燃える太陽は黄金の指輪に変わる。
なんて素晴らしい奇跡なのかしら。まるで、銀河がかけてくれる特別な魔法みたい」
「プレアデス星団をご存知ですか。古代東方の国ではすばるとも呼ばれていた、オリオン座の小さな星々の群れのことです。
巷ではあまり取り上げられていませんが、今回の金環日食では、この星からみて一直線の方向に新月、太陽、そしてプレアデス星団も並びます。
いにしえの伝説によると、我々人間の古代種は、はるかプレアデス星団からやってきたとも言われているのですよ。
だからプレアデスの並ぶ金環日食に願いをかければ、その望みは必ずかなうと言われています」
「願いがかなうの?絶対に?」
「はい」
「ふうん、そっか」
急にそわそわし始めたアリーナを見て、クリフトはほほえんだ。
「姫様には、どうしてもかなえたい願いがおありなのですか」
「それは、まあ……」
アリーナは傍らのクリフトを横目で見ると、頬を赤らめて急いで目を逸らした。
「色々あるわ」
「では、日食の訪れるその日を楽しみにしていましょう。あと数日です。もしも雨だったとしても、どうかがっかりなさらないで下さいね。
日食は見えなくても、そこでたしかに起こっている。目に見えるものだけがこの世のすべてではありません。
瞳に映らなくてもそこにはあるのです、はるか彼方に今日も息づく星々の海が。その奇跡の力を、信じて下さい」
「わかったわ」
アリーナは頷いた。
「わたし、願いがかなうことを心から信じる」
「姫様が一体どのような願いをかけられるのか、わたしもだんだん知りたくなって来ました」
「教えてあげないわよ」
だって、かなえたい願いを当の本人に言うわけにはいかないもの。
若葉色の衣をまとった、わたしの愛しいきらめく黄金の指輪。
あと数日後、日食より素晴らしい奇跡が人という形を取ってそばにいてくれることの喜びを、わたしは木洩れ日から透かし見る太陽の輝きの円に見つけるだろう。
そう、生まれた時から知っていた。
本当にかなえたい願いはきっと、いつだって現実になる。
お気に入りの濃紺の三角帽子を目深に被りなおすと、アリーナは「木漏れ日のきれいな場所を見つけに行くわ、クリフト」と叫んで、森へ向かって野兎のように駆け出した。
クリフトは風に飛ばされそうになる長い聖帽を手のひらで押さえると、「お待ち下さい、姫様!」とあわててその後を追いかけた。
-FIN-