再会はプレゼント



前もって手紙もよこさず、ふらりとミネアがサントハイムにやって来たものだから、初めは驚きと困惑で久し振りの再会を笑顔で喜ぶ余裕すら持つことが出来なかった。

「ど……どうしたの?突然」

何度か深呼吸して心を落ち着け、ようやく口から飛び出した言葉がこれだ。

全く、己れの狭量さ加減が嫌になる。彼女の昔と少しも変わらぬ美貌を目の当たりにしたとたん、なかなか飲み込めずに喉に引っかかっている大粒のゼリーのように、あの頃と同じわだかまりを消化できていない自分を思い知る。

「とくに、なにかがあったわけじゃないのよ。ただなんとなく、元気にしているのかしらとふと思い出して。

思い出すと、いてもたってもいられなくなって。昔はこんな行動力、すこしも持てなかったのにね。びっくりさせてごめんなさい」

「ううん。会えてすごく嬉しいわ。ミネア」

「わたしもよ、アリーナさん」

王族専用の居間の天鵞絨(びろうど)の絨毯の上で歓声を交わし、背中に腕を回して抱き合うと、ミネアが衣服につけているらしい香油の甘い香りがふんわりとアリーナの鼻先をかすめた。

(……これは……)

白檀の香り?

胸のすくような、典雅で清澄な芳香。かつて自分と婚礼を挙げる前、神官と呼ばれていた頃の彼が常に身にまとわせていたのと全く同じ香りだ。

とっさに真顔になって見つめ返すと、ミネアは女神像のように悠然とした微笑をたたえ、「どうしたの?」と小さく首を傾げた。

「いいえ……」

「元気そうね。その紫色の王族のドレス、とてもよく似合っているわ。どう?新婚の王妃様の暮らしぶりは。

あなたのことだもの、昔のように気ままに腕だめしの旅に飛びだす自由も与えられなくて、さぞ息苦しく感じているんじゃないかと心配していたのよ」

「とても幸せよ」

図星をつかれて思わずひるみそうになったが、なにもこの場で自分が密かに抱えている今の生活への不満を打ち明けることはないと思いなおし、すばやく返答した。

とくに、彼女には。

知られたくなかった。

「毎日幸せよ。とっても。……クリフトもいつも、そばにいてくれるし」

「そう」

ミネアはほほえんだまま、ひどく穏やかな声で呟いた。

「幸せなのね。それを聞いて安心したわ。

それで、ブライさんはお変わりなくお元気かしら?クリフトさんも……」

敢えてブライの名を先に呼ぶ配慮は嬉しかったが、さりげなさを意識するあまり、彼の名前を呼ぶ時だけ声がいつもより高くなってしまっていることに、彼女は自分で気がつかないのだろうか。

「ええ、元気よ」

アリーナはいかにもなにげない話題を口にしている、とように肩をすくめてみせた。

「ふたりとも、あの頃と少しも変わっていないわ。ブライは相変わらずの偏屈だし、クリフトも堅苦しくて、なにかといえばお説教なのも昔とまったく同じ。

もう、元気過ぎて嫌になっちゃうくらい」

嘘。

ちっとも元気じゃないわ。

クリフトはね、本当はとても疲れているの。

聖職者から突然一国の君主なんてものに無理矢理ならされて、政務や帝王学の習得のため昼も夜もなく働き詰めにされて、毎日くたくたですっかり痩せてしまったのよ。

わたしたち、夫婦になったっていうのに食事ひとつ共にすることが出来ないの。

あの懐かしい旅の頃のように瞳を合わせてほほえみ合う、たったそれだけのことすら忙しくて満足に出来ない。夫婦なのに。かたときも離れないと神の前で誓いを交わした、夫婦のはずなのに。

ねえ、ミネア。あの人はわたしと結婚して本当に幸せなのかしら?

わたしと結婚して職を捨て、王になるなんて話はきっぱり断り、昔と同じまま神官として教会に住み、変わらぬ平穏な暮らしを営んでいた方が彼は幸せだったんじゃないかしら。

市井でおだやかに暮らし、歳を重ねて、時には優しく慎ましやかな女の人と恋をして。……そう、たとえばあなたのような人と。

これまで幾たびも懊悩を重ねた疑問が、奔流のように胸に湧きあがったその時、ミネアがアリーナの手をぎゅっと握った。

「アリーナさん。じつはわたし、ここに来る前に城下の教会へ立ち寄って来たの」

「え……?」

「クリフトさんとアリーナさんが国王夫妻として立位した後の、サントハイム城下街の様子を見て来たのよ。

もしかして王妃になったあなたは、以前のように自由に身動きが取れず、色々な心配事をひとりで抱え込んでしまっているのではないかと思って。

でも安心して。クリフト王の御威光は、ちゃんと城下の隅々まで届いているわ。

たしかに教会は、クリフトさんという後継者を突然失っていっときは混乱の縁に立たされたかもしれないけれど、今ではすっかり情勢は安定している。

新王の御世となってから街の治安もますますよくなり、悩みを訴える告解者が覿面(てきめん)に減ったのですって、エルレイ司祭様も嬉しそうに笑っていらっしゃったわよ」

「そうだったの。教会に……」

だから彼女は白檀の香りを身にまとわせていたのか。

わたしは久し振りに訪ねて来てくれた友人に対して、なんて失礼な考えを抱いてしまったんだろう。

ミネアの話を聞きながら、たとえ一瞬でも愚かな邪推が心に首をもたげたことを、アリーナは強く恥じずにはいられなかった。

「わかるかしら、アリーナさん。あなたとクリフトさんの結婚は、今や国中の皆に心から祝福されているの」

ミネアはほほえんだ。

「だから、悩むのは止めて。自分で自分を追い詰めないで」

「な、悩むだなんて、わたしは別に……」

「信じて。あなたたちおふたりは、それぞれの想いと神の導きに従って正しく結ばれたの。

クリフトさんの国王即位だってそう。この道を示したのは神であり、そしてそれを選び取ったのは誰でもない、彼自身なのよ。あのまっすぐなクリフトさんが、たとえ王家の命とはいえご自身の意に染まぬ話を唯々諾々と受けると思う?

今はまだ即位したてでなにもかもが慌ただしく、夫婦ふたりの時間をゆっくりと持つことは難しいかもしれない。でも、それが永遠に続くわけじゃないわ。

昔のように、あの旅の頃のように愛情豊かな時間を過ごせるときがきっと来る。アリーナさん、あなたは「神の子供」クリフト王の誰よりも愛するお転婆姫でしょう?

悩んでいる暇があったら、王城という戦場で懸命に戦っている夫を盛り立て、支えるためにあなた自身も力を尽くすべきだわ。落ち込んでいる場合じゃないの。

ね、頑張りましょう。元気を出して。あなたならきっと出来る。アリーナさん」

「……どうして、わかるの?」

気がつくと鼻の奥が痛むようにつんと痺れ、まぶたに熱い涙が滲んでいた。

「どうしてそんなに、あなたにはなにもかもが手に取るようにわかるの?

ミネア、もしかして……それをわたしに伝えるために来てくれたの?

占いで視たの?わたしが、ずっと悩んでいたことを。それでこうしてわざわざ遠くから……、あなたはわたしを励ましに来てくれたの?」

「太陽って、いつも明るくて眩しいでしょう。そのぶん雲がかかって光が翳ると、どんなに遠くにいてもすぐにわかるものなのよ」

うつむいて頬を伝う涙を拭うアリーナの肩を、ミネアはほほえんでそっと抱きしめた。

「それでも、日は必ず昇るわ。雲は必ず去るわ。明けない夜はないの。寂しさに負けないで」

「ごめんなさい」

わっと声をあげて盛大に泣きだしたいのをこらえて、アリーナはミネアに強く抱きついた。

「ごめんなさい。ミネア、ごめんなさい……!」

「急にどうしたの?なにを謝るの」

「だって、だってわたし、あなたを……!あなたのことを……!」

持てる言葉の限りを尽くして彼女に心から非礼を詫びたかったけれど、それ以上なにも口にすることは出来なかった。

この芙蓉のように美しく物静かなジプシーの占い師は、この世のすべてを見透かす奇跡の千里眼を持ちながら、それで自らの運命を映すことあたわず、己れの秘めた想いを上手く周囲に隠しおおせていると信じているのだから。

「アリーナ様っ!」

ふたりがようやく心ほどけた泣き笑いの表情を向けあった瞬間、性急な勢いでノックの音が響き、開いた扉から背の高い人影が隼のようにばっと飛び込んで来た。

「こ、こちらにいらっしゃったのですね。ああ、なんと久方ぶりにお姿を拝見することでしょう……!

こうして帝王学を学び始めてからあまりにも忙しく、貴女様と共に過ごす時間をまったく頂けないので、やれ勉学だ公務だとうるさい大臣がたには腹が痛いので厠に行って来ますと嘘をつき、とうとう執務室を抜け出して参りました!

お、お会いしたかった……!僭越ながら王の名を戴く者として、愛するサントハイムのためならどのような激務も進んで引き受ける覚悟ですが、貴女にお会い出来ないのだけはどうにも耐えられません。

心から慕わしい貴女様のお姿を、せめてひとめなりとも拝見出来ずば、身を賭して働く活力も一向に湧いて来ないというもの…………、あっ、あれ?」

クリフト―――それは勿論この国の異色の新王であり、アリーナの夫であるクリフトだった―――は、呆気に取られて立ち尽くした。

「ミ、ミネアさん……?」

「お久しぶりです。クリフトさん」

「どうしてここに?そ、それに姫様、何故そのようにお泣きになられているのです?これは一体……?!」

「まあ、クリフトさんったらまだ姫様なんて呼んでいるの?ご自分のいとしい妻のことを。

本当にアリーナさんの言った通り、すこしも変わっていませんね。そんなに豪華な国王の衣装を着て、頭に黄金の王冠まで載せていらっしゃるのに」

くすくすと艶やかな忍び笑いを洩らしながら、アリーナの耳元で美しい占い師の温かい吐息がそっと囁く。

「来てよかった。あなたとクリフトさんはどんなに時が経ってもきっと、相変わらずの素敵なふたりね。

会えてよかった。元気をもらえたわ」

ううん、ミネア。それはわたしの台詞。

あなたにどうしても今、これだけは伝えたいの。さっきは上手く言えなかったから、お願い。未熟なわたしにもう一度だけチャンスを頂戴。

お芝居のように再会の瞬間を仕切り直しすることは出来ないけれど、かけがえのない友人へ心を込めたこの言葉を伝えるのに、遅すぎることなんてきっとないはずだと信じているから。


「来てくれてありがとう、ミネア。会いに来てくれてありがとう。



わたしを覚えていてくれて……思ってくれて、本当にありがとう」





まだ状況を飲み込めず、ぽかんとふたりの顔を見比べているクリフトの背後の扉で、割れ鐘のような怒号が聞こえた。

「陛下っ!クリフト王!!一体いつまで厠におこもりになるおつもりですかっ!

腹が痛いなど、嘘だということはとっくに解っているのですよ。どこにお隠れになられようとも決して逃がしは致しませぬ!

王として、まだまだ学ぶべきことは山のようにあるのです。失礼ながら、お首に縄をつけてでも御身を捕まえさせて頂きますぞ!出て来られませ!」

クリフトは青くなって飛び上がった。

「か、過剰労働です。これは不当な過剰労働の強要です!

ストだ。ストを決行してやりますからね!これまでは言われるがまま従って来たが、わたしだって男だ。仕事も大切だがそれ以上に家庭を、妻を守らねばならぬという矜持くらい持っています。

いとしいアリーナ様とのスウィートライフのため、今日という今日は週五日以上の勤務時間の超過反対を求めて断固戦ってやる……!!

ではアリーナ様にミネアさん、少々遅くなるかもしれませんが後ほどまた!」と駆け出し、前方に鬼の形相で追いかけて来る大臣たちを見つけて、クリフトは「わーっ」と慌てて反対方向へ脱兎のごとく走り去って行った。

どうやら神の子供の名を戴く若き新王は、悩み苦しみよりもっと強い己れの愛と正義を貫くために、美しい占い師にも視えなかった独自の反乱を起こすつもりらしい。

目を丸くして両手で口元を押さえたミネアと、アリーナの久方ぶりの弾けるような明るい笑い声が、石造りの王城の高い天井に高らかと響き渡った。





-FIN-

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