夏の夜の夢
それは柔らかな春を過ぎ、世界をまぶしい陽射しが焦がし始める、とある夏の初めの一夜のこと………。
「……ね、クリフト」
「はい」
「暑くなって来たわ。もう羽布団はいらない」
「ち、ちょっとお待ち下さい」
「なあに」
「では、わたしはむこうを向いていますので……どうぞごゆっくりとお布団をお脱ぎになってお涼み下さい」
「何よ今更。面倒ね。さっきから、身体の中が熱くて仕方ないの。それもこれもクリフトのせいでしょ。
ほら見てよ、こんなに汗をかいちゃった」
「うわあぁぁっ」
「ちょっと、今何時だと思ってるの。静かにしなさいったら」
「も、も、も、申し訳……」
「おかしなクリフトね」
「……はぁ」
「でもお前のそういうところ、わたし嫌いじゃないわ。
子供みたいに焦ったり慌てたりするお前を見ていると、なんだか昔飼ってた仔犬を思い出すの」
「……犬ですか」
「あら、不満なの?猫のほうがよかったかしら」
「いえ……どちらでも。
姫様のお優しさを頂いては尻尾を振っているという点では、我ながら犬の方が、しっくり来るような気がします」
「すごく可愛かったのよ。とても綺麗な目をして。
いつも懸命にわたしの後を着いて来たわ」
「常に背中を追うというのも、なかなか悪くないものです。
姫様に気づかれることなく、背後から好きなだけお姿を眺めていられますし」
「え?」
「い、いえ」
「とにかく、その仔犬はとても可愛かったの。でもある時、流行り病で……突然」
「覚えています。あの時一晩中、姫様は泣いておられましたね」
「知ってるの、クリフト?」
「勿論です。あの当時、姫様はブライ様と共に教会にお弔いの祈りに来られたじゃありませんか」
「そうだったっけ」
「一日がかりで庭を掘り、お墓を作るお手伝いも致しました」
「そうだったの。じゃあ」
「はい」
「もしかしてベッドで泣いているわたしの横に寄り添って、泣き疲れて眠ってしまったわたしの髪をずっと撫でていてくれたのは、お前だったの?」
「……」
「知らなかった」
「申しわけありません。非礼な振る舞いだとは承知しておりましたが」
「そんなことないわ。あのときあの優しい温もりに、悲しみに沈んだ心がどれほど慰められたか。
わたしはてっきり、侍女のカーラだと思い込んでいて」
「わたしごときが姫様のお力になれたのなら、それはなにより喜ばしいことです」
「クリフト」
「はい」
「愛してるわ」
「は、はい」
「ずっと小さな頃から、わたしを守ってくれてありがとう。
もしもお前が悲しい時、今度はわたしがそばにいてあげたいの」
「わたしは、これまで特に悲しいと感じたことなど」
「嘘」
「どうしてですか」
「お前はわたしと一緒にいる時も時々遠くを見て、すごく切なそうな顔をする。そのくらい知ってるのよ」
「……それは、貴女様のせいです」
「え?」
「神に捧げた身でありながら、こんなにも貴女様をお慕いしてしまったこと。
貴女というお方を愛しすぎてしまったこと、時々それが怖くなる時があって」
「なぜ?」
「いつか、もしもこの幸せを失う時が来てしまったらと」
「失ったりしないわ。わたしは、これからもずっとずっとお前だけが好きよ」
「言葉だけでは足りない。解っているのに、不安になる時もあるのです」
「じゃあ、わたしはお前のためにどうすればいいの」
「そうですね……では姫様、目を閉じて」
「こう?」
「そのままじっとしていて」
「あ」
「動いては駄目」
「あ、……あ」
「好きです。姫様」
「待ってクリフト、このままじゃ……、そ、それにわたし、羽布団を着ていないわ」
「いらない」
「わたし、象のようにたくさん汗をかいてるのに」
「貴女の汗、すごく好きだ」
「でも今からじゃ……もうすぐ夜が明けてしまうわよ」
「東の空が白むまで愛し合うのが、貴女の思い描く理想の恋人達なのでしょう」
「そうだけど、青紫色のうつくしい春の暁とは違うわ。夏の夜明けはあまりに……明るすぎるもの」
「だったら目を閉じていればいい」
「わたしが目を閉じている間、お前はどうするの」
「わたしがどうしているのかは、目を閉じている貴女には解らない」
「ずるいわ」
「でもこういうことは、男性側の都合に任せていいことだったんでしょう。そうおっしゃったのは貴女様です」
「そうだけど、……意地悪」
「アリーナ様、愛してる。いつも貴女をお守りし、その背中を見つめて生きていきたい。
だから確かめさせて下さい、もう一度、貴女がちゃんとわたしのものなのかを」
「お前ももう、こんなに汗をかいてるわ」
「貴女とわたしは、一緒だから」
「好き、クリフト」
「はい、姫様」
---そして、恋人達が眠らぬ夜明けを迎えると、空はまた二人に微笑みかける。
明日もずっと共にいられるよう、祈りを込めた朝の陽射しの中で。
-FIN-