いつか星が降れば


どん、どん、どんと、何かが激しく鼓膜の奥で鳴り響いている。

窓から覗く空はまだ暗いというのに、もう朝を知らせる三点鐘だろうか?

それとも街の中心部の神楽小屋に安置されている、祝祭用の大きな太鼓?

「痛いよ、クリフト」

いつまでも騒ぎ立てるそれが、自分の心臓の音だとようやく気付いた時、クリフトは腕の中の小さな身体が苦しげにもぞもぞと動くのを見て、慌てて手を離した。

「も、も、も、申し訳ありません!!」

「暑ーい」

アリーナは羽根布団を掻き分けて顔を出すと、深々と息をついた。

「すごく暑いわ。まるでぽかぽかの暖炉の中で眠ってるみたい。

お前、熱でもあるの?顔も真っ赤だし」

「だ、大丈夫です」

間近で自分を見上げる、愛しい少女の琥珀色の丸い瞳、眠そうに開いた珊瑚色の唇。

薄茶の長い髪からは、摘みたてのスイートピーのような甘い香りが漂い、なんとか心を静めようと意識すればするほど、少年クリフトの脈拍はぐんぐん上昇していく。

女の子を腕に抱くなんて、ましてやベッドの中で抱きしめて眠るなんて、当然生まれて初めての事。

自分がものすごく悪い事をしている気持ちになり、クリフトはなんとかして互いの距離を取ろうとしたが、

まるで冬籠もりする野ねずみの子のように、アリーナは腕を回してクリフトに身体を寄せ、ぴたりとくっついて決して離れなかった。

「なんだか、すごくいい匂いがする。クリフトは練り香をつけてるの?」

「え?い、いいえ」

「礼拝のお祈りの時間に、祭壇に流れる匂いと同じだわ。

鼻の奥がすうっとして、体じゅういい気持ちになるような、枝から出て来たばかりの、からたちの木の芽みたいな匂いよ」

「ろうそくと、白檀の香油の匂いかな」

クリフトは不思議そうに、身にまとっている衣の袖に鼻を近付けた。

「ちゃんと沐浴はしたし、服も洗っていますが」

「わたしは好きよ、この匂い。心が静かになるような気がしてとっても落ち着くわ」

アリーナは言って、クリフトの胸に甘えるように頬をすり寄せた。

「ああ、今わたしの傍にはクリフトがいるって感じがして、すごく安心するもの」

「アリーナ様……」

にわかにみぞおちが締めつけられるような、せつない感情が込み上げて、クリフトは腕の中のアリーナをきつく抱きしめたい衝動と、必死で戦わなければならなかった。

「ね、クリフト。明日もたくさん歌を歌いましょうね」

「はい」

「それから二人で夜の散歩に行きましょう。窓の外はすごい星よ。

今度はちゃんとカーラにお願いして来るから、それならお前と一緒にいてもいいでしょ。

お前と見る月や星は、きっとお城の窓から見るより、何万倍も綺麗だわ。

クリフト、お前がいれば花は色が鮮やかになり、空を飛ぶ蝶の羽ばたきのひとつひとつまで目に映る。



わたしね、お前といるとすごく………なの……、


だから、ね、クリフト……」



少女の弾んだ声は、次第に細く小さく途切れがちになり、やがてすうすうと言う規則正しい健やかな寝息に変わった。



「……わたしといると、何なんですか」

クリフトはそうっと腕を伸ばし、胸の中のアリーナのなめらかな頬に触れた。

全てを任せきった、安らいだ寝顔。

彼女は今から一体、どんな夢を見るのだろう?

(このくらいは、いいかな)

クリフトはそのまましばらく悩んだが、やがておずおずとアリーナの額に、触れるか触れないかというほどかすかに自分の唇をあてた。

(どうか姫様の眠りが幸せな夢の精霊に、とこしえに守られますように)

(どうか、ずっと)

そっと腕を離し、音を立てないようにベッドを滑り降りると、天窓を見上げる。

少女が目を輝かせて言った通り、満天の銀色の星はまるで大地まで降るようだ。

彼女の見る夢が同じほども、煌めく光と輝きに包まれたものであるように。

明日もあさっても永遠に、この空を二人で見ることが出来るように。



少年は夜空に静かに手を差し延べ、大切な神に向けて心からの深い祈りを捧げた。










「どうしたの、クリフト?」

後ろから急に抱きしめると、彼女の少し戸惑った、でも嬉しそうな声。

わたしは長い髪にくちづけて、彼女をこちらへ振り向かせる。

掌で顔を包んで顎をあげさせると、紅潮した頬の上にはきらきらした鳶色のふたつの瞳。

「姫様、星ならもうここに」

あの空よりもたくさんの輝きをたたえた、たえなる銀河がここにある。

彼女は解ったというように微笑んで、手に入れた大切な光をなくさぬよう、大事そうにそっとその瞳を閉じた。



そしてわたしは彼女にキスを。



いつか空から降った宝石のような煌めきが、ずっとずっと二人の間に消えない星となってあることを、確かめるために。






-FIN-


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