時空かくれんぼ
「では、そろそろ帰りましょうか」
掌を差し出すと幼子のように指先だけをぎゅっと掴んで、アリーナ姫は立ち上がった。
「クリフト」
唇を少しだけ尖らせて、決まり悪そうに首をかしげながら小声で言う。
「その……来てくれてありがとう」
「姫様のご命令とあらば、わたしはどこへでも参ります。世界の果てでも宇宙の裏側でも」
「じゃあ今からついて来て欲しいところがあるの。
世界の果てなんかじゃないわ。すぐそこの城下街。
あ、あの教師のところへお見舞いに行きたいの。さっきのことを謝って、それから……」
「これからはよそ見も居眠りも止めて、真面目に勉強します、と?」
「そう。それから」
「それから?」
「あなたも他人に対する口の聞き方と、礼儀をいちから勉強しなさいねと言うわ」
わたしは声をあげて笑った。
「そうすれば互いに成長することが出来ますね」
「うん」
アリーナ姫は至極真面目な顔でうなずくと、「だから、お前は傷を治してあげてね」と呟いてぱっと走り出した。
繋いだ手がほどける。
彼女はこうしていつも、わたしを置いて先へと駆けて行く。
わたしはいつだってそれを追う。
見失わないために。
ずっと共にあるために。
「そうだ、紫色の蝶ってこれのことでしょう」
足を止めて振り返ると、アリーナ姫は懐の隠しから取り出したものを掌に乗せてみせた。
わたしは目を見開いた。
それはアメジストの羽根にたくさんの真珠をちりばめた、虹のような紫に輝く蝶のブローチだった。
「これ、じつはお母様の形見なの。これがあれば、ひとりじゃないって気がする。
寂しい時も目を閉じれば、この蝶がわたしの周りを飛んで守ってくれている。そんな気がするんだ」
「きっとそうですよ」
わたしは頷いた。
「だからわたしは、必ずあなたを見つけ出せるんです」
「なんのこと」
不思議そうにわたしを見つめると、視線を離して彼女はもう一度走り出した。
小さな背中が遠くなる。
大丈夫、ちゃんと追いかけるから。
隠れる場所がどこであろうと、貴女を探し出すのはいつだってわたしの役目。
大気に溶けて消えたまぼろしの真珠色の羽ばたきを瞳に焼きつけて、わたしは土を蹴り、彼女の元へと足を踏み出した。
「姫様、お待ち下さい!」
―FIN―