七色の夜と黄金の朝
恋人達の過ごす時間は、まるで黄金色の砂が指のすき間からさらさらとこぼれ落ちていくように甘く濃密で、輝きながらあっという間に過ぎて行く。
それから一刻ののち、二人はようやく寝台から離れて身支度を整えた。
アリーナ姫は長い髪を指で梳いてとかすと、革の靴に足を入れて紐で締め、まるで先程までのふたりだけの時間が嘘のように、きちんとした姿でわたしを振り返って、はにかんだ微笑みを浮かべた。
「もうお昼になっちゃったね。
クリフト、神父様は」
「一昨日より、フレノールの修道院へと出掛けておられます。
今度の聖霊降臨祭の準備に新しい教典と、フレノール産のダマスコ織の法衣をと」
「そうか、聖霊降臨祭」
アリーナ姫は瞳をしばたたかせた。
「もうそんな時期なのね。
それじゃこれからしばらく、クリフトも忙しくなるわね」
「わたしの事など、どうとでも」
わたしは首を振り、アリーナ姫を見つめた。
「それよりもアリーナ様、無断で朝までこちらにいらした事で、今頃城ではどんなに騒ぎに」
「いいの!」
アリーナ姫はわたしの言葉を強く遮った。
「平気だから、お前は何も気にしないで。
いつもみたいに、裏の城壁からこっそり部屋に戻って、夜の散歩に出掛けて、川辺で月を眺めていたら、うっかりそのまま眠り込んでしまったんだって言うわ。
大丈夫よ。わたしは日頃の行いが悪いから、何をしても、お前はまたそんなことをしでかしたのか!で済んじゃうの。
だから心配しないで。決してクリフトに迷惑は、かけな……」
言い終わらぬうちに、気丈に反らせた肩を引き寄せて、華奢な身体を腕の中に抱きしめる。
「……クリフト?」
「アリーナ様」
わたしは背を屈め、視線の高さを同じにして、アリーナ姫の頬を両手で包んだ。
「わたしも、共に参ります」
「え?」
鳶色の大きな瞳が、驚いたように見開かれる。
「だって……それじゃ」
「わたしが貴女と結ばれた事は、神にかけてこの世の誰にも恥じるものではありません」
わたしは迷いのない口調で言った。
「これから貴女と共に城へ上り、姫様を無断で外泊させてしまった事を陛下にお詫びしたのち、こう申し上げます。
神官クリフトは、アリーナ王女殿下を深くお慕いしていると。
例え神職を失うことになろうとも、もしこの身が命を以って断罪されることになろうとも、どうかお知り置き頂きたいのです。
わたしは心の底から、アリーナ様を愛していると。
それだけは神に偽らざる、たったひとつの真実なのだと」
「……うぅ……」
不意に細い肩が震え、愛らしく整った顔がくしゃくしゃに歪んだかと思うと、アリーナ姫は子供のようにしゃくりあげ、大粒の涙をこぼして盛大に泣き始めた。
「ど、どうなさったんですか、急に?」
わたしは仰天して、おろおろと彼女の顔を覗き込んだ。
「どこか痛いのですか?
それとも、わたしが何かご機嫌を損ねるような事を」
「違うわ」
アリーナ姫は泣きながら呟いた。
「違うわ……」
「泣かないで下さい」
わたしは困り果てて、彼女の真珠のような涙を指で何度も拭った。
「貴女が悲しい思いをすると、わたしは」
「馬鹿ね、知らないの」
鼻先を真っ赤にして、アリーナ姫は頬を濡らしたまま微笑み、わたしの胸に頬をそっと押し当てて囁いた。
「嬉しい時にだって、涙はあふれて来るものなのよ。
大好き、クリフト。
わたし、今日のことをずっとずっと忘れないわ。
恋をして結ばれて、自分以外の誰かを想う事が、こんなに幸せだと知った日の事を、
どんなに時を経ても、わたしは絶対に忘れない」
「---やあ、今日は随分と街が賑やかだな。
年に一度の聖霊降臨祭か」
サントハイム城下街の青々と樹木の繁る小路を抜け、石畳の続く大通りに出ると、よく日焼けした顔をほころばせて、行商人は大きな革の荷袋を置き、額の汗を拭う。
通りの表に露店を出し、道行く人々に葡萄酒を振る舞っていた宿屋の主は、気前よく彼に杯を差し出した。
「祝杯だよ、ひとつどうだい」
「もらうよ!いや、めでたいね。
今年もこのよき日を、平和と豊かな安寧のうちに迎える事が出来て」
「それに、なんたって今年はただの聖霊降臨祭じゃない。我がサントハイムの王女様のご婚礼も兼ねてるからね」
「なに!」
行商人は目を丸くした。
「わしが商売でしばらく祖国を離れてるうちに、いつの間にそんな話になっちまってたんだい!
じゃあなにか、あの自由気ままなお転婆姫さまが、ついに誰かの愛する奥方さまになったっていうのかい?
で、そのお相手は……、ははん」
宿屋の主が楽しげに片目をつぶり、胸で十字を切る仕草をすると、行商人は顔じゅう嬉しそうな笑いでいっぱいにして、葡萄酒をぐっと一息に飲み干した。
抜けるように青い空に向けて、金色の杯を高く掲げ、舞い落ちる輝きに目を細めながら、あたたかな声で祈りを唱える。
「神様。
あんたの大事な使いはようやく、この世で最も大切な天使を、その手に捕まえることが出来たんだよ。
どうか永遠にあの二人に、宝石のように煌めく深い愛の御恵みを。
贅沢な望みじゃないだろう?人は誰だって皆、
幸せになるために、生まれて来たんだから」
空は高く、金色と蒼に縁取られた木漏れ日に混じって、ヒバリの美しい鳴き声が響いて来る。
「好きよ、クリフト」
「はい、アリーナ様」
サンザシの花びらが舞い踊り、竪琴の音色が高い空を歌う。
祝福に彩られた城の尖塔の上で、風に流れる囁きに乗せて、二つの影がそっと身を寄せ合い、永く深い口づけを交わした。
太陽はいつまでも変わらぬ黄金の輝きを放ち、愛しあう二人の幸福に満ちたサントハイムの大地を、今日もまばゆく照らし続けている。
-FIN-