七色の夜と黄金の朝
「アリーナ様!」
その時わたしは初めて、あまりに心が逸る瞬間には、頭と体が全く違う生き物として分かたれ、別々に衝き動かされるという事を知った。
考えるよりも先に走り寄り、華奢な体を思いきり抱きしめる。
まだ瞳に涙をたたえた彼女は、されるがまま抱きすくめられながら、戸惑ったように息を弾ませて、わたしをおずおずと見上げた。
「クリフト?」
「……好きだ」
乱暴に触れてはいけないと思えば思うほど、胸の中で感情の火花は激しく弾け、わたしは彼女のなめらかな頬を両手で挟み、珊瑚色の唇を慌ただしく捉えた。
「苦しいよ、クリフト」
息もつかせぬキスの間に、彼女が震える声で囁く。
「お願い、少し待って」
「嫌です」
「わたしはもう、どこにも行かないわ。だから」
弱々しい哀願に、ようやく名残惜しげに唇を離すと、こすれあう額と鼻先から互いの息遣いが伝わって来る。
わたしとアリーナ姫は抱き合ったまま、しばらく見つめ合い、微笑んでくすりと小さな笑い声を交わし合った。
「ごめんなさい」
アリーナ姫は何度も睫毛を羽ばたかせながら、恥ずかしげに呟いた。
「クリフトは悪くない。
あんな言い方をして……、わたしがいけなかったの」
「そんなことは」
わたしは顔を赤らめて俯いた。
「わたしこそ馬鹿で、どうしようもなく愚かな朴念仁だから、わ……解らなかったのです。
貴方のような、高貴で純粋な乙女のお考えが。
だからいつも貴方を悲しませ、傷つけてしまう。
こんなに」
こんなに好きなのに。
口にする前に喉元で押し止めた言葉を、だが彼女は理解したようだった。
「わたしも、クリフト」
ほんのりと頬を桜色に染めて、そっとわたしの胸に顔を寄せる。
「わたしもあなたが好き。すごく、すごく好き。
これからも二人で、仲良く一緒に過ごして行きたい。もう喧嘩はしたくないの。
……だからずっと、傍にいてね。クリフト」
満開の花びらがこぼれ落ちるような、甘く可憐な微笑み。
とたんに心臓をきりきりと締めつける激しい痛みと共に、体の底から熱い何かがせり上がって来て、わたしはアリーナ姫をきつく抱きしめた。
「クリフト?」
長い髪に手を差し入れて引き寄せ、小さな頭を抱えてもう一度唇を重ねる。
「好きです、アリーナ様」
触れ合う唇の隙間から、自分でも情けないほどかすれ、頼りなくふるえる声が洩れた。
「すごく好きだ……、だから」
(貴女が欲しい)
(どうか、わたしだけのものになって下さい)
(……駄目だ、言えない)
感情と理性と、もし拒まれたらという恐れが入り乱れ、胸の内側でまるで別の生き物のように自分勝手に暴れ狂う。
喉の奥に熱い塊がつかえ、あまりに苦しくて大きく息を吐くと、次の瞬間、ふわりと柔らかな、うまれたての小鳥の羽根のような感触が喉元にそっと押し付けられた。
「好きよ」
それがアリーナ姫の唇だと気付くのに、時間はかからなかった。
「クリフト、好き」
「アリーナ様」
「このままずっと」
彼女の声が、柔らかく喉に絡んだ。
「離れたくないの……」
「わ、わたしは」
からからに干上がった喉から、不格好に裏返った声が洩れる。
「貴女の全てを、自分のものにしてしまいたい、
いつも……いつも、そればかり考えていて」
顔を真っ赤にして打ち明けるわたしを、アリーナ姫は黙って見つめていた。
「まるで自分が、別の人間になってしまったような気がして、……怖かったのです。
どんなに神に祈りを捧げても、頭の中は貴女のことばかりで埋めつくされて、このままだといつかわたしは、貴女を」
「クリフト」
アリーナ姫は、泣きたいのか笑いたいのか解らないような表情を浮かべて、人差し指の先でそっとわたしの唇をなぞった。
「大丈夫よ。わたしも、同じだから」
消え入りそうな囁きと共に、彼女は艶やかな桃色に染まった瞼を伏せると、背伸びをして腕をわたしの首に回し、熱い息の交じった唇を寄せて来た。
「大好きだから、同じなの。わたしと貴方の想いは。
……だから」
見つめ合う互いの瞳に映る、互いの姿にたったひとつの言葉を探す。
だがその時、先に答えを出したのは、わたしではなく彼女のほうだった。
「迷わないで、クリフト。
お願い……今この時だけは、貴方から、わたしを捕まえて」