彼とわたしの事情


ずいぶん長く、みんなにはこうして話を聞いてもらったけれど、そろそろ結論を出さなきゃいけない時がやって来たんじゃないかと思う。

最初の質問はなんだったっけ?

ああそうだ、癒しだ。

愛する誰かを心から癒したいと思う時、わたしなら一体、どんな方法を取ればいいのだろうか。

答えは簡単。

「いる」と言うこと。

みんなはがっくり、拍子抜けの実に安易な答えかもしれない。

でもこれは、いつも傍らに亀の子のようにべったりとくっついているとか、なにも体と体の距離感を近くすればいいって事を言っているわけじゃない。

「クリフト、髪の先まで花の香りがする。

きっと明日、やかましやのじいさま大臣達に、なんと不謹慎なって増々反発されちゃうかもしれないわよ」

「構いません」

クリフトは肩をすくめた。

「最近は目を閉じて、お歴々の辛辣な意見にいかにも頭を悩ませているふりをしながら、実は前の晩の夕食の献立の事を考えたりするようにしているんです」

「クリフトが」

わたしは目を丸くした。

「真面目一辺倒のお前が、皆の前で実はそんな事を考えてるっていうの?」

「批判のなにもかもを受け入れていたら、わたしとて流石に参ってしまいます」

クリフトは掌をお椀のように丸めて、シーツを埋める花々をそっと掬い上げた。

「即位当初は全てに真摯に耳を傾けていたので、非常に精神的な疲労を感じていましたが、厳しい進言には鋭い賢察もあれば、全く根拠がないものもあります。

うまく取捨選択して、正しいと思える意見のみ生かす事。そう決めてから、随分と楽に対処出来るようになりました」

「煩わしい文句の時だけは、頭の中で羊の香草焼きや、シチューの事を考えてるって言うわけ?」

「そう」

クリフトは片目をつぶると、ふうっと花を吹いて散らした。

花びらがぱっと舞い、雪のようにひらひらと降りて来る。

「国王となって素晴らしいなと思うのは、とにかく食事が豪華な事です。でもわたしには、あんなにたくさんはとても食べきれない。

あれはアリーナ様に食べて頂こう、きっとこのアントルメもアリーナ様ならお好きだろう。

ああ、アリーナ様と一緒に食事がしたい。

会いたいなぁ、って鹿爪らしい顔を作って大臣と見つめ合ったまま、思っているんです」

「……お前って」

わたしはため息をついて肩を落とし、すぐにくすくすと笑った。

「ほんとうに、お父様の言う通りだわ。ちっとも脆くも、打たれ弱くもない。

こんなに大好きだけれどわたしはまだまだ、お前のことを全然解っていなかったのかもしれないわね」

「幼少より教会で、様々な類の告解を聞き続けて参りましたから。

皆が批判する聖職者出身であるということも、実は意外と役に立っているものですよ」

「クリフトに従うくらいなら、エンドールに亡命するぞ!と言われた時は、どうしたの」

「それが貴方の真の望みならば、どうぞそうなさるがいい。

ただわたしはチェスの盤より自ら降りた駒を、どんなに必要であろうともう二度と、盤上に戻すことはありませんよ、と」

「それ、とてもいい切り返しだと思うわ。一国の王には、時には絶対的威厳も不可欠だもの」

「それから、こうも申し上げました。貴殿の愛するサントハイム産の黒糖酒も、もう口にすることが出来なくなるでしょうが、本当に宜しいのですか」

「まあ」

「若輩者、賎民出の凡庸なわたしではありますが、どうかこれから苦楽を共にし、サントハイムの為に努め、平和な治世を遂行したあかつきには、

君臣として貴方と二人、心安らぐ酒を楽しむ機会を与えては頂けないでしょうか、とも」

「そんな事言ったってお前、お酒は飲めないでしょ」

「ま、まあ、そうですが」

クリフトはごにょごにょと呟いた。

「一杯くらいなら……いや、練習すればもう少しは飲めるようになるかも」

「いいのよ」

愛しさが込み上げて、わたしはクリフトの胸に頬をすり寄せた。

「晩餐会が苦手な、下戸の王様も悪くないわ」

「そうでしょうか」

「裾を踏み付けてばかりのドレスが苦手なお妃様には、とってもお似合いだもの」

クリフトは微笑んだ。

「なら、構わないかな」

「そうよ。わたしたち二人そうやってずっと、これからも変わらずに生きて行くんだから」

「ずっと、変わらずに?」

「そう、ずっとね」


柔らかな光をまとうような、クリフトの笑顔。黄金の冠を頭に載せてもそれは変わらない。

例えばもしまた、何日もそばにいられない事があっても、春風に踊る花びらを見つけては、私達は互いの心が共にあることを想うだろう。

別々に食事を取らねばならない時も、テーブルを埋めつくすたくさんの料理を見ては、クリフトはきっと、嬉しそうに頬張るわたしを思い出す。

わたしは目をぎゅっと閉じては、無理して酒を飲み干すクリフトを思う。


そうやってわたしたちは思いを積み重ね、いつも共にいる。


それが、「いる」ということ。

とても大事なこと。


「お前が意外に処世術に長けていて、要領がいいのはよく解ったわ」

わたしは起き上がって、もう一度、花の彩る白いドレスを身につけながら言った。

「でも、カーラにはちゃんと声を掛けておいてあげてね。

クリフトが大変な思いをしているんじゃないかと、とっても心配していたんだから」

「はい」

クリフトは目を細めた。

「カーラさんは私達の、大切なお母上ですから」

「そうよ……う」

不意にわたしは身を縦に折って、口を押さえた。

クリフトが驚いて背中を支える。

「ど、どうなさいました、アリーナ様」

「なんか……気持ちが悪い」

差し出された銀の盥に顔を埋め、わたしは青ざめて言った。

「着慣れないドレスのコルセットを、きつく締めすぎちゃったせいかしら。

実は花を摘んでいた時からこの香りも、どうも胸が悪くなって仕方なくて」

「……」

真剣な顔をしていたクリフトの頬が、薔薇の花弁を散らしたように、赤く染まった。

「何よ、どうしたの」

「あ、あの……ですね、姫様」

恐る恐る唇を何度も噛みながら、震える声で呟く。


「それって、もしかして」



わたしたちは一面の花の絨毯の中、ふたり目をまんまるく見開いて、間近で顔を見合わせた。






例えばそんなふうに、ふたりの間に新たな息吹をもたらす存在が降りて来て、突然鏡をひっくり返したみたいにがらりと状況が変わってしまうことだってある。

でもそれは想いが共に有る限り、いつも胸が疼くほどの幸せに満ちている変化。


だから、どうかみんなも忘れないでいてほしい。


大切な幸せは、気付けばきっとすぐそばにあるということを。



それがわたしたちふたりを見守ってくれるみんなへの、わたしからのたったひとつのお願いだ。






-FIN-


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