彼とわたしの事情
久しぶりに恋人と対面するのって、どうしてこんなにどきどきするものなんだろう?
みんなもそうだと思いたいけれど、それにしても今回は、柄にもない演出までしているのだから、
その時のわたしの緊張たるや、生半可なものではなかった。
「わぁ……」
扉を閉めたとたん、クリフトが発した一言目は、まるで幼い子供のような無垢な驚きに満ちていた。
切れ長の蒼い目が見開かれると、まばたきもせずに首を巡らせて部屋中を見渡す。
それもそのはず。天蓋付きのベッドのシーツの上、大理石のテーブルにソファの上、大きな窓の桟の上。
そして床の絨毯の上一面に敷き詰められたのは、花、花、あふれんばかりの大小の七色の花の渦。
いつもより多く燈した蝋燭の明かりと、月と星々の光が舞い、部屋はまるで芳香立ち込める、夜をあざむく鮮やかな秘密の花園だった。
憧れの玩具を与えられた少年のように、クリフトの瞳が輝いて撒かれた花々のひとつひとつを見つめる。
それからずっと待ち侘びていたものをようやく見つけたように、空よりも澄んだ蒼い目が、しっかりとわたしの姿を捉える。
その時のクリフトの表情は、忘れようったって忘れられない。
人は瞳の色だけで、愛を伝える事が出来るのだと気付かせてくれるような、捜し求めたたったひとつのを花をようやく見つけたような、
まぶしげで切なくて、でも少しの畏れも混じった、この世で最も愛おしくて、大切な宝物を見つめる目。
気恥ずかしさと喜びで、まるで目眩のような高ぶりを覚え、不意に真っすぐ立っていることが出来なくなって、わたしはよろめいて壁に背を着いた。
クリフトが慌てて駆け寄り、肩を支えてくれる。
「アリーナ様、大丈夫ですか」
「う、うん」
二週間ぶりに耳を撫でる、彼の唇からこぼれる自分の名前。大好きな、落ち着いた響きの少し低い声。
鼓膜の向こうまで通り抜けて行く風みたいだった。
「これは、アリーナ様が」
「まあね。綺麗でしょ」
照れ隠しに声を立てて笑ってみせたけれど、上手くいかない。
クリフトの瞳がわたしの顔から下に滑り降り、身につけているドレスにあてられると、ついに恥ずかしさは最高潮に達し、わたしは顔を真っ赤にして俯いた。
選んだのは、雪のように真っ白なドレス。
袖や裾がふんわりと膨らんだレースの上に、胸元の銀の刺繍入りのリボンの上に、同じように摘んで来た花をたくさん編み込んで飾り、
悩みに悩んだ末に、長い髪をゆるく耳の横で結び、そこに大きな白い薔薇を挿した。
全身から漂う、甘い花の香り。息苦しいほどの静けさが部屋に立ち込め、わたしはぎゅっと目を閉じた。
(やっぱり、止めればよかった。もう逃げ出してしまいたい!)
その時、ふと頬になめらかな何かが触れる。
恐る恐る目を開けると、それはクリフトの指だった。
まるで思わず手を差し延べてしまったというように、クリフトはわたしの頬にぼんやりと触れながら、なんとも言いがたい、とても不思議な表情を浮かべていた。
まるで物語の中に、うっかりと入り込んでしまった少年が、生まれて初めて常ならぬ世界のきらめく光をその瞳に映し出したような、透明なまなざし。
「花の、精霊みたいだ」
ぽつりと呟くと、はっとしてクリフトは顔を赤らめ、急いで手を引っ込めた。
「あ……、すいません」
「クリフトでも、そんな事言うのね」
「え?」
わたしは真っ赤に染まった顔を見られないようにうつむいたまま、冗談めかして言った。
「社交辞礼の大変な王様になったら、すっかり口も上手くなっちゃったのかしら。
久しぶりに会ったとたん、そんな見え透いたお世辞を言うなんて」
なんて可愛げがない、底意地の悪い女なのだろうと、自分で自分が強烈に嫌になる。
もしこんな似合わない恰好さえしていなければ、いつもの武術用の、簡素な短衣に身を包んでいさえすれば、
「クリフト、会いたかったわ!」と大声をあげて飛びつき、子犬のようにじゃれながら、久しぶりの逢瀬を無邪気に喜べたのかもしれないというのに。
周囲にまんまと乗せられて、柄にも合わぬ乙女のような演出をしてみせるなんて、わたしはなんて身の程を知らぬ愚かな娘だったんだろう。
いたたまれなさに今この瞬間、どこかへ消えてしまいたかった。
「お世辞なんかじゃありません」
クリフトは意外な事を言われたように眉を上げると、むきになった子供のように早口で言った。
「姫様はお綺麗です。まるで白い薔薇に棲む、神話の妖精そのものみたいで……こ、この世の誰よりも綺麗です。
教会のフレスコ画の天使よりも、世界中で一番、姫様がお美しい」
ぎこちなく声を途切れさせながら、頬を赤らめて懸命に口にする。
「姫様は、きれいだ」