彼とわたしの事情
恋をすると、誰だって相手の色に染まりたくなる。
みんなだってきっと、少しは覚えがあるはずだ。
部屋に戻り、壁に掛けられた銀の姿見の前に立って、わたしははったと腕を組んだ。
(とはいうものの、クリフトが喜ぶ恰好って…)
傍らにはカーラが運んで来た、色とりどりの目もあやな大量のドレス。
そのうちのひとつを恐る恐る指でつまみあげ、思わず絶句する。
肌が透ける素材の絹のストールに、宝石をあしらった煽情的なシルクの胸当て。
ベリーダンサーの衣装だ。カーラは一体、何を考えているのだろう?
(こんな服、マーニャならとても似合うだろうけれど)
鍛えに鍛えた武術のための身体は、着くべき所にしっかりと筋肉がついていて、我ながらとても女らしい肢体だとは言い難い。
(第一、クリフトは肌を露出してる女の人を、いつも気をつけて見ないようにしているみたいだったわ)
酒場の舞台の上で、マーニャがしどけなく踊るのを男たちがぽかんと見つめている時も、クリフトはそそくさと席を外し、テラスでひとり困ったように夜空を眺めているのが常だった。
それが神の戒律に従うためなのか、華やかな女性が苦手なのかは解らなかったけれど、そんなクリフトを、わたしは不思議なほど誇らしく思ったものだ。
(こんなのはどうかしら)
柔らかなひだを裾にたくさん寄せ、薔薇の花が膨らんだような細かなレースをあしらった、繊細なピンクのドレス。
胸に当てて鏡の前でポーズを取ってみせ、すぐに深いため息をつく。
(……全然似合わないわ。ずっと太陽の下で鍛練ばかり積んでいたから、真っ黒に日焼けしてしまってるんだもの)
それから何枚かのドレスを取り替えては当ててみたが、結果は同じことだった。
戦いを終えた時とは全く違う重苦しい疲れを覚え、わたしはドレスを放り投げてしまうと、ベッドの上にごろりと横たわった。
(ああ、もう嫌だ)
着飾ったりなんかしないで、恋しい人にありのままの自分を受け入れてもらいたいと思うことは、そんなにわがままな望みなのだろうか。
(いいえ、きっとクリフトはわたしがどんな恰好でいようと、可愛いって言ってくれるはずだわ)
口下手で照れ屋なクリフトは、甘い台詞なんてほとんど言わない。
どんなに豪奢なドレスや宝石で飾りたてたとしても、「素晴らしい!美しいドレスにアリーナ様の長い髪がとても映え、
まるで花園から抜け出して来た、虹色の燐紛を放つ艶やかな蝶のようだ」
なあんて、彼が言うわけもない。多分、「とてもよくお似合いです」が精一杯。
(それでもクリフトのために努力しようと思う心が、大事なんだっけ……)
わたしは起き上がると、うずたかく積まれたドレスの小山をじっと見つめた。
誇らしく花弁を広げた花々を集めたような、絹やレースが幾重にも重なる、絢爛な衣の河。
やがて立ち上がって手を伸ばし、中からある一枚を取り出すと、意を決して、わたしはそっと袖を通した。
クリフトが一体どんなふうに感じるのかは、解らない。
解らないけれど、わたしにはわたしにしか出来ないやり方がある。
不器用な手つきで着替えを終えると、わたしは迷わず扉を開け、広大な回廊を横切ってアーチ型の扉を越え、心に決めたやり方のために必要なあるものを集めようと、庭に飛び出した。
真っさらなレースの裾は、踏まない。それだけは気をつけながら。
……そして、夜更け。
月に照らされた涼やかな風が流れ込んで来て、わたしは小さくくしゃみをして身を震わせ、窓を閉めた。
春の宵はまだ思っていたより寒い。
(でも、今夜は)
久方ぶりにクリフトの腕に包まれて、心地よい温もりの中、穏やかで幸せな夢を見ることが出来る。
ほつれた長い前髪と、無防備に閉じられた瞳。小さく開いた唇から覗く、真っ白な形のいい歯。
しばらくぶりに見るクリフトの寝顔を思うだけで、心臓が弾み、喉の奥が火傷したように熱くなった。
会いたい。
胸が痛くなるほど、会いたい。
その時、控えめな音でドアがノックされ、わたしはびくりと身体を震わせた。
「は、はいっ」
おかしいくらい声がうわずり、緊張のあまり鳩尾がぎゅうっと縮まる。
「失礼致します」
扉が静かに開くと、今やこのサントハイム全土を統べる、唯一の君主としてはあまりに謙虚な仕種で、神官だった時と変わらずに深く頭を下げ、わたしの夫が部屋に入って来た。