彼とわたしの事情


「さ、お茶を召し上がって少し落ちついてから、わたくしの話をもう一度聞いてくださいませ」

カーラはエナメル細工が施された王族専用のティーカップを、わたしの前に置いた。

わたしは嫌な顔をした。

「ここのところろくに体を動かしてないから、喉も渇かないわ。

大体、朝からもう何度目のお茶なの?おなかの中に紅茶の海が出来ちゃったわよ」

「通常、貴族の皆様はお体を潤すため一日に三度、お茶の時間を持たれるしきたりがございます」

「三度」

大袈裟にため息をついて、肩をすくめてみせる。

「カーラ、わたしは南の砂漠に住むラクダじゃないのよ。

なんにもせずに椅子に座って過ごしてるだけなのに、誰がお茶ばかり何度も飲めるもんですか。

第一しきたりって言っても、わたしは今まで一度もそんな事しなかったわよ!」

「アリーナ様は、しきたりとは無縁の生活をしてこられましたから」

カーラは木籠に入れてあったパンを、ナイフで丁寧に切りながら言った。

「そもそも貴族の方々というものは、昼食をお取りにはなりません。

なのでこうしてお茶を召し上がりながら、パンや焼き菓子をつまんで空腹を満たされるものなのです。

アリーナ様のように、昼もしっかりと肉や魚の食事をお取りになるのは、極めてお珍しい事なのですよ。

ですが王妃となられたこれからは、そうは参りません。今後はアリーナ様も、お食事は朝夕二回のみ、お茶はきちんと三度お召し上がり頂きます」

「冗談じゃないわ」

わたしは声を大きくした。

「お昼をきちんと食べるからこそ、体の隅々まで力がみなぎって、思うように戦うことが出来るのよ。

ふわふわしたパンや焼き菓子じゃ、敵と立ち向かう気力も湧きやしない」

「ご安心下さいな。貴き王妃殿下が敵と戦うことなど、金輪際ございませんから」

カーラは冷たく言い放った。

「とにかくアリーナ様には、まず王家のしきたりを一から体にたたき込んで頂く事、それが全てです。

御歳19となられた今でも、全く王室儀礼を身につけられていないこと、それはひとえにおそば仕えのこのカーラの責任。

これからは厳しく愛情を持って、アリーナ様がご立派な王妃となるために全身全霊でつとめさせて頂きます。

どうぞ、クリフト陛下のご苦労に報いるためにも、美しく素晴らしい貴婦人となって下さいませ」

「……」

わたしはじっとカーラを見つめた。

目尻にうっすらと細い皺の入った、穏やかな表情。

誰かに言わされている感じではない。

「わたしがそうした方が、クリフトの為になるってわけなの、カーラ」

「勿論ですわ」

カーラはきっぱりと言った。

「昔から、こういう格言がございます。咲く花の美しさを見れば、おのずと土の豊かさが知れる……と。

今この時期、アリーナ様が破天荒にふるまうことは、陛下にとってなんの得にもなりは致しません」

「侍女にではなく、育ての母にとして聞くわね」

わたしはティーカップを掴むと、あまり行儀よいとは言えない動作でひとくち紅茶を飲んだ。

「カーラ、さっきからまるでお前らしくないほど神経質に、わたしのクリフトの妃としての体面を気にしているけれど。

もしかしてクリフトは今、苦しい立場にあるの。わたしのせいでなにか彼が辛い目にあっているとでもいうの」

「そ、そういうわけでは」

カーラは困ったように言葉を濁した。

「ただわたくしはアリーナ様にもそろそろ、たおやかな女性としての立ち居振る舞いを覚えて頂きたいと」

「カーラ」

真っ直ぐに見つめると、カーラは観念したように目を閉じた。

「……そうですわね。いずれは必ず、アリーナ様のお耳にも入ることなのですから。

わたくしから真実を申し上げておいたたほうが、いいのかもしれません。

実は陛下は今、苦境に立たされておられます」

「どういうこと」

わたしの顔がすっと引き締まったのを見て、カーラは頬をほころばせた。

「さすがお妃様ですわ。陛下の事となると、瞳の光ががらりと変わりました」

「冷やかしはいいわ。何があったというの」

「それが」

カーラはにわかに表情を曇らせ、言葉を選ぶように慎重に言った。

「平民出の国王は決して認めないという、サントハイム古参の家臣たちに、クリフト様は反旗を翻されているのです」

「なんですって」

わたしは呟いた。

譲位を告げられた瞬間、青ざめて目を伏せたクリフトの姿が、鮮明に脳裏によみがえる。

「彼等は平民出身であり、またなにより聖職者であったクリフト様の国王即位を、真っ向から反対しています。

中には、このままクリフト王の御世が続くようであればサントハイムを捨て、エンドールへの亡命も辞さないと言い出す者まで現れたとか。

今や大臣達は、クリフト王擁護派と反対派の真っぷたつに割れ、日夜激しい言い争いを繰り返しているそうです。

あまりの事態に、これでは政務にも影響があると昨夜ボールス公爵が、前国王であられるアリーナ様のお父君、アル・アリアス法王様にご進言に上がったそうなのですが、

必死の訴えにもただ頷くばかりで、まるで色よいご返事は聞かれなかったのこと。

このまま放っておけば、即位したばかりのクリフト陛下の御世は、いずれ内側から崩壊していってしまうことでしょう。

わたくし、ご夕食を片付けていた時、陛下をお見掛けしたのですが、随分とお疲れになっていらっしゃるようで、顔色もよくありませんでした。

なんとかこの状況を打開する方法があればと悩んだとて、所詮何のお力にもなれないのですけれど……、

アリーナ様?」

椅子からすっくと立ち上がるわたしを、カーラは怪訝そうに見た。

「どちらにいらっしゃるのですか」

「そんな事を聞いて、このわたしが黙ってられるわけないでしょ」

「い、いけません!」

カーラは蒼白になった。

「今アリーナ様が騒ぎを起こせば、夫である陛下のお立場が悪くなるだけです!」

「誰も、騒ぎを起こすなんて言ってないわ」

わたしはつかつかと歩くと威勢よく扉を開けて、宙をにらんだ。

「ただ、じっとしてなんていられないの。

わたしはわたしに出来ることを、やるわ!」
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