彼とわたしの事情
みんなはどうなんだろう。
もしも恋するあの人に、長く会えないと気持ちは半減する?
それとももっと、濃縮された果汁みたいに気持ちは甘く煮つめられ、普段の万倍以上に愛おしくて、逢いたくて仕方がなくなる?
わたしは絶対に後者。
勿論それは、もう爆発寸前まで膨らんだ感情を、彼があとでちゃあんと微笑みながら優しくなだめてくれるのが解っているからなんだけれど。
「逢いたかったの。胸の奥がむずむずして、息が苦しくて仕方なくて、このまま死んじゃうんじゃないかっていうくらい逢いたかったのよ」
わたしはいつも、こんなふうに直截な言葉しか使えない。
そりゃあ朝露に浸したような、しっとりと濡れた愛の言葉を囁きながら、瞳にたたえた熱だけで想いを伝えられるような女性になれたら、どんなにいいだろう。
でも、無理。
自分で解ってる。
逞しい向日葵は、艶やかな薔薇にはなれない。
騒々しい鶏だって、どんなに望んでも美しくたおやかな孔雀になることなんて出来ない。
それでもわたしは、そんな自分が決して嫌いじゃない。
何故って?
彼が言うからだ。
「そのままの貴方が、わたしはとても好きなんです」
言葉以上に雄弁な、夏の空みたいに純度の高い彼の蒼い瞳が、蜂蜜を落としたようにとろりと溶かされた熱い輝きを帯びてわたしを見つめる時。
最高の瞬間が訪れる。
愛されてる実感。
これ以上大事なものなんて、この世にあるかしら?なんて言おうものなら、いかにも年若い娘らしい、馬鹿げた発想だと笑われてしまうだろうけれど。
その時のわたしには、それが全てだったのだから仕方がない。
まだ聖なる婚姻の誓いを交わしたばかりの、花もほころぶ幸せな蜜月を送るはずだったわたしと彼がすごした、あの頃には。
「退屈だわ。クリフトを呼んでよ」
赤く染めた鹿の皮を張った豪奢な長椅子にだらしなく腰かけたわたしは、ぶっすりと頬を膨らませて言った。
「駄目です」
紅茶を注いでいた侍女のカーラは、にべもなく首を振った。
「どうしてよ!わたしはクリフトの奥さんでしょ!夫に会いたい時に会って、なにがいけないのよ。
もう二週間よ。二週間クリフトに会っていないのよ。考えられないわ、こんなの。
わたしはクリフトをこのお城に取られちゃうために、結婚したんじゃないんだから!」
「陛下は今、様々な王室儀礼、公務や式典でのしきたり、また帝王学についての習得の最中なのです」
「なーにが陛下よ」
わたしは鼻で笑った。
「クリフトはいつまでたってもおろおろとわたしの後ろを着いて来る、心配性で慌て者の神官でしかないわ」
「アリーナ様」
カーラは大きなため息をつくと、わたしに向き直った。
「いえ、王妃殿下」
「やめてよ。そんな呼び方、大嫌い」
「いいえ!今日という今日は、言わせて頂きます」
カーラは真剣な顔をした。
「アリーナ殿下とクリフト陛下は、聖サントハイムの墓前にて神聖な婚姻の誓いを交わされ、今やこのサントハイム王国の君主である、貴き血のご夫妻なのですよ。
もはや自由気ままであった恋人同士の時分とはお立場が違います。
陛下には新たな優れた施政者として、このサントハイムに君臨して頂かねばなりませんし、アリーナ様はそれを支える妻として、貞淑で献身的な貴婦人となって頂かねばなりません。
ご多忙ゆえ、ご夫婦がすれ違いの生活になってしまうことは、これからも多々あるかと思われます。
ですがそれもすべて、このサントハイムの国益と秩序を護るため、国王夫妻としてなさねばならぬ義務。
どうか奥方であるアリーナ様には、陛下のご苦労をお汲みあって……」
「やだ」
椅子に飛び乗って行儀悪く片膝を立て、そのうえに顎の先を乗せると、わたしはふてくされて呟いた。
「アリーナ様!」
「……だって、こんなに会えなくなるなんて、知らなかったんだもの」
結婚して夫婦となってしまえば、身分違いの恋人同士だったころのように人目を憚りながら逢瀬を重ねるのではなく、
堂々と胸を張り、輝く太陽の下をふたり腕を絡めて歩けるようになるのだと、ただそれだけを信じていた。
だから不思議に思ったものだ。
城へ召喚され、「我が娘アリーナを妃とし、サントハイム王家次代の後継者を、国王の御名においてそなたに任ずる」と告げられた時、何故かクリフトの顔がみるみるうちに青ざめたのを。
わたしは今でも、解らない。
結婚って、幸せになるためにするものなんじゃないの?