恋の一幕~ふたりのお芝居~
「姫様」
「……」
「アリーナ様?」
「おっほん、こほん」
「!!(参ったな、また始まったのか……)その……え、ええと、
ア、アリーナ。真昼の太陽よりまばゆい、我が愛しき想い人よ」
「あら、なあに?クリフト。
暁の空と同じ色にくるめく蒼い瞳を持つ、わたしのいとしい恋するお方」
「………」
「あっ、もう。台詞に詰まっちゃだめじゃないの、クリフト!
わたしがこう言ったらすぐに、
〈用などありませぬ。うるわしきその瞳に舞う銀のほうき星の光を見たくて、
恋に身を焼くわたしは今日も、壊れた時計のように繰り返し貴女の名を呼ぶのです〉
って返すんでしょ」
「も、申し訳ありません」
「はい、始めからやり直し」
「ええっ、また?!あの……アリーナ様、そろそろこの遊びは止めることに致しませんか。
もうこの二週間、お顔を合わせるたびに繰り返しています。旅一座の観劇会で見た、「英雄マルシアスと寵姫サーヴァ」ごっこは」
「やだ」
「で、ですが」
「だって、すごく面白いんだもの。「おお、姫よ。愛する姫よ」って言う時の、カラス瓜みたいに真っ赤に強張ったお前の顔」
「……」
「なにも、本当に愛してるって言ってるわけじゃないんだから、そんなに照れなくてもいいのに。
こんなのただの遊び、お芝居の台詞なんだからね」
「遊び……お芝居……。
は、はは……そうですね。このようなその場限りの戯れごと、なんの意味もありませんし、いくら口に昇せようと全くどうってことありませんよね。
はあ……」
「どうしたの?そんなにがっくりして」
「いえ!なんでもありません」
「ひょっとしてお前、お芝居は嫌い?」
「まさか。芝居は見る者の憧れが詰まった夢の結晶、戯曲を読むのも舞台を観劇するのも大好きです。
ですが自分が演じるとなると、それはまったく別の問題で」
「確かにそうね。お遊びでもこうして台本通りの場面を演じてみて、わたしも改めてよくわかったわ。マーニャやパノンが、いかにすごい才を持っているのか。
人前であんなに堂々と与えられた役に成りきって、踊り、声を張り上げて語ることが出来るんだもの」
「わたしもある意味、演じているのかもしれませんが。
どんな時も物分かりのいい、姫様にとって人畜無害な存在を」
「え?なにか言った?」
「いえ、なにも!」
「さあ、とにかく先を続けましょ。
おおクリフト、クリフト!美しき貴方、惹かれてやまない貴方、ああ、どうして貴方はクリフトなの?」
「アリーナ様……マーニャさん達に負けず劣らず、貴女様も十分堂々としていらっしゃいます……。
えーい、ヤケだ!!
嗚呼、愛しいアリーナ姫。
その白き手ほど清らかなものはなく、貴女のあらゆる微笑みがこの心臓を揺さぶり、血のひとしずくまでを慄わせる。
薔薇より麗しい貴女を、わたしはずっとずっとお慕い申し上げて来たのです。
初めてお会いした、とても小さな子供の頃から」
「ちょっとクリフト、子供ってなによ?
英雄マルシアスと寵姫サーヴァは、15歳で初めて出会ったんでしょ」
「わたしが15歳だった時、アリーナ様、貴女はまだたった10の齢を迎えたばかりでいらっしゃいました」
「……クリフト?」
「毎日神に祈りを捧げながら、わたしは深く悩みました。
貴女は汚れなき妖精で、そのあどけない笑顔は星のように輝いて、ちっぽけなわたしを絶え間なく照らす。
それなのにわたしときたら、歳を重ねて背ばかり高くなり、声ばかり低くなり、器の形はどんどん変わってしまうのに、貴女への想いは少しも変わらない」
「……」
「それどころか、諦めようとしても気持ちは募るばかりで、いつしか貴女のお姿を目にするだけで、脈打つ鼓動が胸を叩くのを抑えることすら出来なくなりました」
「……」
「ですが今のわたしは、この想い以外、貴女様に捧げるものをなにひとつ持ちません。
だからまだ、言えないのです。
貴女が誰よりも好きなのです、と。
どうかわたしのものになって欲しい、と。
力も身分も、到底貴女にふさわしくなどない、拙く矮小なこの身では」
「クリフト……」
「だがわたしは、決して諦めたりはしません。
貴女への想いを失くすということは、わたし自身の存在意義を失くすということでもあるから。
だから、すぐには言えないけれど……もうすこしだけ待っていて頂けますか。いつか必ず、貴女様の傍らに立つに恥じない人間と成ってみせますゆえ。
わたしはマルシアスのような、神話の勇ましい英雄ではありません。
けれどこのわたしにも、英雄以上であると胸を張れることがたったひとつだけあります。
それは貴女を想う心。
この心から貴女が離れたことなど、出会ってから今日まで一秒たりともなかった。
我が愛しい姫様。
わたしの永遠の想い人、アリーナ様」
「……クリフト」
「どうです。今の台詞は突っ掛からずに上手く言えたでしょう。
今度は合格点を頂けますか、姫様」
「せ、台詞の内容が……ほんものと違いすぎるわ」
「お芝居とは、時に即興も必要なのですよ。
愛を語らう場面は特に、使い古された言葉など、誰の耳にも色褪せてしか響かないのだから」
「じゃあ……お前は、お芝居じゃない自分自身の言葉で、わたしに愛を語ってくれるっていうの」
「お望みとあらば、何度でも」
「お前、なんだかさっきと目の光が違うわよ。生き生きしてる」
「ええ、開き直ったのです。好きなものは好きなのだと素直に認めると、なんだか急に、とても気持ちが楽になりました」
「じゃあ、今すぐここで、もう一度愛の言葉を聞かせて。きっとそれは、このサントハイムの国の歴史に残る名台詞になるわ。
世界中のみんなにも語り継がれるはずよ。わたしたちふたりの世紀のお芝居は」
「どのような逸話として?」
「それはね、その題名は……、
<幼ななじみの神の子供に、王女がついに心を盗まれた一幕>よ!」
「では、もう一度」
「うん、次はマルシアスと同じように、逞しい抱擁と熱いくちづけもつけてね」
「えっ」
「あら、それが恋の大役者たる条件よ。
わかってるんでしょう?ほんとはそれが一番大事なことだって。
わたしの名優……、
わたしだけの名優、クリフト!」
―FIN―