星の夜に



アリーナは夜空を見上げた。

「今夜はお星様がきれいね、クリフト」

クリフトは穏やかに答えた。

「はい、姫様」

そのいらえはごく短かったが、十分な愛情と共感を感じたのか、アリーナは嬉しそうにほほえむとおとがいを上げ、再び頭上に広がる夜空を見やった。

「星の輝きほどうつくしいものは、きっとこの世界に存在なんてしないわ。

何十年も時間をかけて丹念に磨き上げたつやつやのダイアモンドより、世界中の絹を選り集めたレースたっぷりの豪華なドレスより、

たったひと晩の夜空を彩る星々が、どれほどめくるめく至高の光をわたしたちに与えてくれるのか、せっかくこの世に生まれたのに知ろうとしない人はみんな馬鹿ね」

「賛否ありますでしょうけれど、それも確かにひとつの真理です」

「ねえ、クリフト」

「はい」

「知ってる?夜空って同じようでいて、必ず毎晩違う顔を見せるのよ。

ある夜は青ざめていたり、ある夜は白んでいたり、ある夜は熟れたアケビのように真っ赤に燃えていたり。

またある夜は、この世界で起こっている無限の不幸を見せられるのがつらくて仕方ないみたいに、星は悲しみ、悲しみ……、

最後は悲しみをこらえきれず、両手にすくい上げた灰色の雲で顔を覆い、きらめきという名の涙をひと晩じゅうぽろぽろとこぼし続けている。

星はいつも同じ軌道をめぐり、いつも違う輝きを放つの。

まるでわたしと夜空、あてもないにらめっこをしてるみたいに、来る日も来る日も違う顔を同じ場所で向けあって」

「星も人も、変わらないようでいてほんの一瞬のうちに必ず変わりゆく。

変わりゆくということは、死に近づくということです。

わたしも貴女も毎日、一歩一歩死にゆこうとしている。アリーナ様、生きるということは死ぬことなのですよ。

命は、産声をあげて生まれた瞬間に死へのカウントダウンを始める。

不老不死の魔法は、どこにもない」

クリフトは囁き、すらりとした長身を屈めてアリーナの肩をやわらかく引き寄せた。

「例えば、アリーナ様。あの星座を御存じですか。

冬の夜空を彩る、まるでわたしたちが毎晩その身をゆだねて眠るベッドのような、不思議に安堵する几帳面に角ばった形のあの星座」

「オリオン座ね。そのくらいわたしも知ってるわ」

「あの中で最も輝く星、一等星ベテルギウスは赤色矮星。もう幾千年も前から日ごとに温度を増し、大気を膨張させています。

あの赤く燃える輝きは、もうこれ以上膨らめず、これ以上熱くなれないという星の切実なる悲鳴のあかし。

つまり、滅びの一歩手前にいる星なのです。ベテルギウスはあれ以上の新たな光を生み出すことかなわず、やがて白色矮星へと転じ、ゆるやかに冷えながら朽ち果てて行くことでしょう。

未来の人間が視る夜空には、同じ形のオリオン座はない。

ベテルギウスもない。

そして、わたしたちの崇める太陽も必ずそうなる時が来る。

今ある世界がどうして、このままあり続けるとわかるのです?あの輝く太陽ですら、いつか必ず滅びる。生あるものは必ず死ぬ。

だったら、わたしには」

時間がない。

生きている者には、いつも時間がない。回り道をしている暇はないのです………、と、言ったのか。


それとも口にしたのは、もっと短い言葉?




好きだ



愛しています



あなたを




この 短くも不確かな命をかけて






斜め上から降りて来る唇の気配に瞳を閉じながら、アリーナは自分とクリフト、ふたりの上に幾千のやがて滅びゆく星々の光が降りつもるのを見た。

時間がないと知ることは、本当に欲しいものがなにかを知ることだ。

愛している者がいずれこの世界から失われるのならば、今こうしている時間さえもたまらなく惜しい。

だけど同じように率直な愛の言葉をすぐに返すのは、余りに付け焼き刃で気が効かないような気がして、彼女は先ほどと全く同じ口調で「今夜はお星様がきれいね、クリフト」とだけ告げ、

彼も寄せかけた唇をはっと止め、ぎこちなさげに「はい」と頷くと、性急になりすぎた自分を恥じるように頬を赤らめ、指先で長い聖帽の唾をぐいと下ろした。





-FIN-



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