夏歌



水面を割ってざぶんと飛び込むと飛沫が跳ね、きらきらと水晶色の宝珠が踊る。

季節は夏、コナンベリーの海。

世界各国の交易船が行き来するこの街は、港湾都市でありながら自然の美しさが保たれ、桟橋から仰ぐ海の青さと薄桃色の珊瑚礁が目に鮮やかだ。

天然の河口と湾入の造形を上手く利用した港に並ぶエンドールのガレオン船、遠いガーデンブルグのキャラック船。

そして導かれし仲間たちが手に入れた、沿岸の浅瀬や河川の冒険も可能な、三本マストに四角帆のキャラベル船。

速度、操舵性、汎用性全てにおいて非常に優れたこの帆船を、仲間たちはことのほか気に入っていたが、

大海原で小型船の揺れは激しく、モンバーバラからリバーサイド東岸を横切って内海を越え、ようやくコナンベリーに辿りついた頃、皆の疲労はピークに達し、特に船酔いに翻弄されたクリフトはすっかり憔悴していた。

「だらしないわねえ!このくらいの揺れがなによ」

いつでも明るさを失わない愛すべき主人の叱咤にも、神官の青年の表情は暗いままだった。

「申しわけありません。ですが、どうしてもこの揺れだけは……。多分わたしは、人より臓腑が弱いのです。下戸ですし」

「あらあら、可哀想ね。あたしなんか揺れる船上で、片手を腰にやりながら、グラッパ瓶ごとぐいぐい飲めちゃうわよ」

「そういうのは逞しいを通り越して、無神経の馬鹿って言うんだ」

「なんですって!」

「ちょっと……姉さんに勇者様、せっかく街に着いたのですから喧嘩はお止めになって」

「じゃあわたしは、ドックに顔を出して来ます。今回の目的は我々の船の修繕。

船大工を急かしても十日は掛かるでしょうから、その間ここに滞在ということで」

「ああ、頼む、トルネコ殿。クリフト殿があの様子ゆえ、宿の手配は拙者が」

「ふん!男丈夫がだらしないのう。白波猛る海を前にすると、わしゃ血が騒ぐわい。

黒魔法の秘伝書を手に入れるため、若い頃はいくつもの海を越えて世界を巡ったもんじゃ」

「あ……勇者様、どちらへ?」

「どこに行こうと俺の勝手だ。じゃあな」

「まったくもう……どなたかあの方の辞書に、協調性という文字を書き込んで下さらないかしら」

「拙者に任せておけ。ようやく陸上に着いたというのに、生意気小僧殿をのうのうと休ませはせぬ。

この街にいる間、地面に這いつくばるほど徹底的に鍛え上げてやるさ」

「じゃああたし、酒場を探してこよーっと」

「姉さんまで……ではわたしは街を回って、良い場所があれば占卜を立ててお金を稼ぎますわ」

「わたしも露店を出しましょう。ミネアさん、直ぐに合流しますよ」

皆が各々の目的を掲げて四散しても、クリフトは青ざめてうずくまり、その場を動く事が出来なかった。

「ねえ、大丈夫?クリフト」

アリーナがひょこんと後ろから覗き込んだ。

「そんなに苦しいの?船酔いって。わたしも旅の扉が大嫌いだけど、あれと同じかしら」

「頭を調味料の瓶のように振られた後、巨人の手で体の中身を掴み出され、大鍋でぐるぐる掻き回されているような心地です」

「ふうん。そんなに気持ちが悪いのね」

アリーナは同情するというよりも、興味しんしんと言った様子で頷いた。

「ねえ、もしかしてつわりってそんな感じなのかしら。

カーラが昔言ってたの。女の人は赤ちゃんが出来たばかりの頃、朝から晩まで船酔いに襲われてるみたいにそれはそれは苦しいんですって。

わたしもいつか、結婚して赤ちゃんが出来て、つわりになる時が来るのかな?」

クリフトは真っ青なままがばっと顔を上げた。

「わたしもいつか、そんな辛い思いをする時が来るのかな。

でもいいわ。大好きな人とその赤ちゃんのためだったら、どんな苦しみだってきっと乗り越えられるはずよ。

じゃあね、クリフト。わたし行きたい所があるの」

「ど、どちらへ?」

アリーナは弾けるように笑った。

「海よ!コナンベリーに着いたら絶対泳ぐって決めてたんだもん。

もうマーニャに水着は借りてるし。じゃあ、行って来るね!」

「マ、マーニャさんの水着……?!」

ぼん、きゅっ、ぼーん。

リアル過ぎる想像を一瞬で繰り広げたクリフトの顔色が、日を受けたステンドグラスのように、赤、青、紫の順番に変化した。

喉がくっと奇妙な音を立て、そのままばたっと後ろに卒倒したが、すぐにぱちりと目を覚ますと慌てて追いかける。

「アリーナ様!だ、駄目!駄目です!水着は……!」

「あれ、クリフト。元気になったの?じゃあふたりで一緒に泳ごうよ!

日焼け止めにって、マーニャからココヤシの油を貰ったの。クリフト、背中に塗ってくれる?砂浜にうつぶせに寝るから、水着の紐を取ってね」


……どすん。


寄せては返すさざ波の調べの中、輝く船首楼が並ぶ煉瓦色の湾に、誰かが倒れる音が響く。

「きゃーっ!クリフト!どうしたの?!」

「……だ、駄目です……駄目……水着もつわりも駄目……ああ、姫様……」

きらきら光る白波がしぶくと、停泊したキャラベル船に夢のような美しさの水泡の影が出来る。

かけがえのない仲間である船体に、うーんとのびた長い影と、それにあわてて走り寄るもうひとつの影が映った。




陽射しが照りつける。

季節は、夏。






-FIN-



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