ある春の朝と、乙女心についての考察
ある春の朝、木陰に並んで腰掛ける二人。
忙しげに舞い跳ぶ蜜蜂、風に揺れる花の群れ。
「ええと、羊肉と香草のシチュー、苺のジャム、蜂蜜のケーキ!
はい、クリフトの番」
「ではオートミール、ライ麦パンに林檎」
「それから馬肉のケバブ、葡萄の果汁の練り飴、フレノール産の鱒の釜焼き」
「……粟のスープ、サンザシの蜜入り茶」
「薔薇の氷菓子に鳩のロースト、春オリーヴの砂糖浸け。
あ、あと白桃のパイ、これは食後には絶対外せないわ!
それから壺入りミートローフ、これも三日に一度は食べておきたいわね」
「……」
「どうしたの、クリフトの番よ」
「もう、ありません」
「へっ?」
「わたしは修道院で育ったせいか、貴女様のように食に対して貪欲な興味があまりなく」
「ええ、じゃあもう終わりなの?「好きな食べもの言いっこ」遊びは」
「そんなつまらなそうなお顔をなさらないで下さい。
いくら考えても、もう思い付かないのです」
「マーニャとだったら、二時間続いたのに」
「に、二時間ですか。健啖家のお二人とはいえ、それは凄いですね」
「ケンタンカ?なあに、それ」
「食べたり飲んだりするのが、大好きな方々のことをそう呼ぶのですよ」
「ああ、じゃあわたしはすごくケンタンカね」
「でも貴女様のそういう所、とても素敵だなと思います」
「たくさん食べるのが?」
「はい」
「自分はあまり食べないのに、なんて大ぐらいの贅沢な女だって、嫌になったりはしないの」
「まさか」
「変わってるのね。わたしは時々、心配になることがあるわ。
いつもこんなに狼みたいに食べていたら、そのうちクリフトは呆れ果てて、わたしのことを嫌いになっちゃうんじゃないかって」
「姫様がそんな心配をなさるのですか」
「まあ、少しはね。わたしだって一応女の子だもの」
「その必要はありません」
「そう?」
「姫様は確かに、かなりたくさんのお食事を取られますが、いつもすこしも残さず綺麗にお召し上がりになります。
それは見ていて気持ちがいいものだし、料理人達もさぞ喜ばしいだろうと思いますよ」
「でもあんまり食べすぎると、太っちゃうわよね」
「姫様はよくお体を動かされますから、大丈夫でしょう」
「やっぱりクリフトも、女の子は痩せてるほうがいいと思うの?」
「え?」
「マーニャみたいに、痩せてるのに胸が大きくて、腰や足首がきゅっと締まった、色っぽい身体つきが好きなの?」
「そ、そんなことは」
「でも、嫌いなわけじゃないんでしょ。はっきり言いなさい」
「わ、わたしは、アリーナ様だけをお慕いしていますゆえ、世の女性を、そのような批評の対象として眺めたことなどありません」
「じゃあもしわたしが、冬眠前の熊のように太ってしまったら?」
「ころころとして、非常にお可愛いらしいのではないでしょうか」
「じゃあもし頑張って痩せて、竹細工のおもちゃのように細くなったら」
「いずれにしろ、新しい大きさのご衣装を揃えるため、すぐに仕立屋を呼ばないといけませんね」
「もう!真面目に答えなさいよ」
「ま、真面目ですよ。一体なんとお答えしたらよろしいのですか」
「それは、だからその」
「そもそもあまり短期間で、急激に身体つきが変化しすぎるのは、健康上決して良いことではありません」
「そうね」
「勿論わたしは、アリーナ様がどのようなお姿になろうとも、心よりお慕いする気持ちに少しも変わりはありませんが」
「それよ。それ!」
「え?」
「もういっぺん言って、クリフト」
「き、急激に痩せたり太ったりするのは、あまり身体によくはな……」
「そこじゃないわ。そのあとの部分でしょ」
「わたしはアリーナ様がどのようなお姿になろうとも、心よりお慕いする気持ちに少しも変わりはありません」
「そう、その言葉が早く聞きたかったのよ!
全くクリフトったら、乙女心っていうものが全然解ってないんだから」
「……」
「でも安心して!わたし、これ以上太ったり、痩せたりもしないからね。
このくらいの体型のほうが、動きやすくて戦いに向いているし、なにより今の自分が気に入っているの。
そりゃもう少し手足が細かったり、胸が大きかったらいいなとは思うけど、人それぞれ、生まれ持った資質というものがあるから仕方ないわ。
それにクリフト、いつもすごく綺麗だって言ってくれるものね。
わたしの身体は服を脱ぐと、まるで雨に打たれた薔薇の花みたいに、繊細で隅々まで美しいって……」
「わーっ、わーっ!」
「なによ?急に」
「そ、外では誰が聞いているか解りませんから、あまりそのようなお話は」
「ああ、そうね、解ったわ。
こういう話は、夜クリフトとふたりで仲良くしている時だけにすればいいのね」
「……は、はい……お願いします」
「あ、マーニャが呼んでる。ご飯だって。クリフトも行く?」
「いえ、わたしはもう少し後で」
「そう?じゃあわたし行くわね。またあとでね、クリフト!」
「はい、姫様」
「……」
「……乙女心かぁ。難しいものだな。わたしにはこれからも、到底解りそうもない……」
「クリフト!クリフトー!」
「わっ、は、はいっ。姫様」
「ジャムの瓶の蓋が、どうしても開かないの。サワーブレッドにジャムがないなんて、絶対に我慢できないのよ。早く来て!」
「解りました!ただいますぐに参ります。
………。
ジャムの瓶の蓋を開けてもらいたい……これも、乙女心のひとつなのかな?
それより、姫様の腕力ですら開かない蓋を、果たしてこのわたしが開けられるものだろうか」
「クリフト、早くー!」
「はい、はーい!
ま、いいか……」
いそいそと立ち上がる、すらりと背の高い若者の影。
春風に踊る木立ち、群青色の空。
それはある、幸せな春の朝のこと。
-FIN-