冬の夜の夢



それは鮮やかな秋の色彩が、長い旅に出る鳥達と共に彼方へ去り、空から降りる風が、磨きぬかれた銀色の冷気を帯び始めた、


ある冬の日のこと……




「ねえ、クリフト」

「はい、アリーナ様」

「退屈だわ。いつまでもそんな書類なんて眺めてないで、少しはわたしと遊んでちょうだい」

「はい、ですがあともう少しだけお待ち下さい。

これだけはどうしても、今日じゅうに決裁しておかねばならない案件なので」

「なによ、アンケンだのケッサイだのって。

王様になったら、急に難しい言葉を使うようになっちゃって、えっらそーに!」

「……この治水工事を認めないと、フレノールでの安定した穀物生産が見込めないのか。

だが今のサントハイムの財政を考えると、この件だけに百万ゴールドも注ぎ込むのは……うーん……」

「ふうん、無視する気なのね。あーいいわよ、解ったわよ!

愛する妻とのふたりきりの大切な時間だっていうのに、いつもいつも仕事ばかり持ち込んで。

お前なんか大っ嫌い。クリフトのバカ、仕事人間。カタブツオバケ。

そんなに考え込んでばかりだと、いつかハゲるわよ。そうよ、お前なんかハゲてしまえばいいのよ!」

「せめて七十……いや八十万ゴールドを国庫から捻出するとして、あとの二十万はやはり、フレノールの自治体に負担してもらうべきだろうな」

「わたし知ってるんだから。元神官の新しい王様はまるで絵から抜け出して来たようなハンサムだって、侍女たちが毎日、黄色い声をあげて騒ぎ立ててること!

どうせお前も鼻の下を伸ばして、デレデレ喜んでるんでしょう。ああいや、不潔だわ。サイテーよ。クリフトって最低!」

「恐らく民の不満は噴出することだろうが、そこは何度でも話し合い、納得して頂くしかない。

互いにどこかで犠牲を払わなければ、国全体の繁栄など望むべくもないのだから」

「不満はあるわよ。当ったり前じゃないの!わたしたち、まだ婚礼をあげたばかりなのよ。

それなのにクリフトは毎日、やれ王様としての仕事だ、政治や経済を学ぶための勉強だって、まるで雛を育てるキツツキみたいに忙しくて、

解ってる?この一ヶ月、一度も二人でどこかへ出掛けていないのよ。

馬車で遠出するどころか、お城の庭園を散策することさえしてないわ!」

「よし、決めた。それで行こう。いつまでも迷っていたって埒があかない。

こうと決めたら前に進む勇気も、国王たる者には必要不可欠だ」

「そうよ、迷ったりしちゃだめ。どこに行こうかなんてそんなこと、この際たいした問題じゃないの。

わたし、クリフトと一緒にいられるのなら、どこにも出掛けなくたって構わない。

ただ、わたしのことをちゃんと見て欲しいの。

毎日大変なのは解るわ。慣れない王様のお仕事に追われて、お前がいっぱいいっぱいになってることも。

でも努力したぶんだけ、人には休息ってものが必要でしょ」

「そうだ、今こそ努力が必要なんだ。

それをきちんと解っていただければ、いずれフレノールは実り豊かな穀倉地帯となる」

「わたし、せめてふたりの時だけはお前にゆっくり休んで欲しいのよ。

だからクリフト、わたしのことが好きなら、こうしてふたりでいる時間くらいはお仕事のことを考えるのはやめて」

「うん、もう止めよう。仕事なんかどうでもいい。

だってわたしはアリーナ様が好きだから……って、ええっ?!」

「やっと止めてくれたわね」

「は、はい……?」

「またこんなふうにわたしをほったらかしたら、許さないんだから」

「その、ええと……も、申し訳ありません」

「いいのよ、解ってくれたなら」

「? はい」

「でもこれで、やっとふたりでゆっくり出来るね。わたし、ずーっと待ってたんだから」

「アリーナ様……。そうか、わたしは自分の職務に夢中になるあまり、いとしい姫様をお独りにしてしまっていたのですね」

「まあ、お仕事だから仕方ないとは思うけど」

「いえ、たった今目が覚めました。

主君であるアリーナ様のお気持ちも配慮せず、このところのわたしは自分のなすべきことばかりに手いっぱいになっていて、まことに申し訳ありません」

「ちょっと、クリフト」

「これからはきちんと職務と私的な時間とのめりはりをつけ、尊きアリーナ様のお心に添えるように日々努力して参りたいと思いますゆえ、どうかお許し下さい」

「あ、相変わらず堅いわねぇ……って、そうじゃなくて」

「え?」

「お前、肝心なところを間違えてるわ」

「なんでしょうか」

「わたしはもう、お前の主君なんかじゃないでしょ」

「あ」

「わたしはクリフトのなに?」

「そ、それは」

「言いなさい」

「お、お、お……」

「なあに?聞こえない」

「……ぉょめさん」

「声ちっさい!それに、赤くなりすぎだってば」

「す、すいません……。

どうもまだ、結婚したということに慣れていないものですから」

「もうすぐふた月経つわ。いいかげんに慣れてよ。

あなたはこのサントハイムの新しい国王。そしてわたしは、愛するその妻」

「ぶっ」

「なによ」

「愛するって、普通ご自分では言わないんじゃないでしょうか」

「じゃあお前、わたしのことを愛してないっていうの?」

「まさか」

「なら言ってみてよ」

「ええっ、今ですか」

「早く!」

「ひ、姫様」

「姫様って呼ぶのも無し。奥さんのことを普通そんなふうに呼んだりしないでしょ。

アリーナって呼んで。アリーナ、愛してるって」

「ア、ア、アリーナ」

「そうよ」

「……様、愛しています」

「もう。様も敬語もいらないってば!」

「も、申し訳ありません。

ですが貴いアリーナ様に対して対等な言葉を使うなど、わたしにはどうしても出来ないのです。

そのかわり」

「え?……あっ」

「今からもっと違うやり方で、貴女を愛してることを証明してみせます」

「あ……クリフト、待っ……」

「しっ、黙って。何も喋らないで。

言葉なんてなくても、こうすれば解るはずです。

わたしが貴女様を誰よりも愛していること。

この世の何よりも、貴女だけしか見えていないこと……」

「ま、待って……誰か来るかもしれないわ。扉に鍵を」

「もう掛けています」

「そうなの?いつの間に」

「ね、これで解ったでしょう?どんなに仕事に追われても、国王の責務に追い立てられても、わたしはいつだって、貴女とこうすることで頭がいっぱいなんだ」

「クリフト、好き」

「はい、姫様」

「だから姫様はやめてってば」

「はい、アリーナ様。

さあ、もう何も言わないで。目を閉じてわたしに全部預けて。

教えてあげます、わたしはいつだって、

アリーナ様、貴女だけを愛してる……」





そしてやがて冬は過ぎ、恋人たちのいつ果てるともない愛の囁きが、七色の輝きに満ちた香り高い春を呼ぶ。

巡り続ける四季のように、折々の光の綾なす世界で、

いつまでもいつまでも二人の幸せが、変わらず永遠に続くように。





―FIN―


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