秋の夜の夢
それは鮮やかな夏を過ぎ、世界をめくるめく色彩が飾り始める、とある秋の初めの一夜のこと………。
「……ね、クリフト」
「はい」
「お腹がすいて来たわ。何か食べるものをちょうだいな」
「えっ、こんな時間にですか」
「駄目なの?」
「あまり夜更けにお食事を取られると、翌日の胃の腑の調子に響くかと」
「あら、わたしこれまで色んな時間に色んな物を食べて来たわ。皆が寝静まった真夜中に、牛一頭分のお肉を平らげたことだってあるもの。
わたしの胃の腑はとっても丈夫なの。翌朝気分が悪くなったことなんて、一度もなかった。だから大丈夫よ」
「では只今すぐ、あたたかいパンとお茶をご用意致しましょう」
「ええ、パン?」
「なにぶん夜更けですから、そのようなものしか」
「やあだ」
「と、言われましても」
「たくさん汗をかいたら、うんと脂っこいものが食べたくなるのよ。お肉とか、脂の乗ったお魚とか」
「それでは明日の朝食を出来るだけ脂質の多いものに致しましょうね」
「クリフト。わたしは今、お腹がすいてると言ってるの」
「し、しかし」
「そもそも、わたしがこんなに汗をかいちゃったのは誰のせいなの?」
「それは……その」
「それもこれも明かりを消したとたん、クリフトがあんなに獣のように激しくわたしを」
「うわあぁっ、わ、解りました!」
「そう?ならいいわ」
「で、では何をお召し上がりになられますか」
「そうねえ。やっぱり適度に塩気があって、噛むと幸せな味が口の中に広がって」
「やはり焼いた牛の肉かな、それとも伝説の遠海に住むという大きくて蒼いうろこの魚を蒸して」
「そういえば、マーニャが言ってたけど」
「なんでしょう」
「男の人の身体も、食べるととっても美味しいものなんですって」
「……」
「食べるって、身体に噛み付くってことかしら。それでおなかがいっぱいになるというの?」
「……」
「世界のどこかには食人種族もいるというけれど、わたしには到底理解出来ない習わしだわ」
「……」
「どうしたの。顔が真っ赤よ」
「いえ、だ、大丈夫です」
「やあね、心配しなくてもいいわよ。お前を取って食べたりするつもりなんてないから」
「わ、わ、わたしの方は別にですね、嫌だという訳では」
「え?」
「い、いえっ、何でもありません!」
「クリフト、わたしに食べられたいの」
「ち、ちが……いえ、違わな……だ、だから」
「一体どうしたのよ。落ち着きなさい」
「も、申し訳ありません」
「解ったわ。つまりは、こういうわけなのね」
「え?」
「今まで黙っていたけれど実はクリフト、お前」
「ア、アリーナ様」
「わたしに、自分の身体を」
「な、な、な……」
「思いっきり痛めつけて欲しいという訳なのね」
「……はい?」
「心配しないで。個人の趣味嗜好には、様々なものがあるわ。世の中にはマゾヒスティックって言葉があるのくらい、マーニャに聞いて知っているわよ。
例えお前が噛みつかれたり引っ掻かれたりするのが好きだったとしても、わたしのお前を好きだという気持ちは変わらないわ。
ただ、わたしは痛いのは嫌だけれど」
「そ、そうではありません」
「あら、違うの」
「わたしも、痛いのは非常に苦手です」
「なんだ、そう」
「でもそれをお聞きして少し安心致しました」
「何が?」
「わがいとしき姫様は、かくもお心の広いお方なのだと」
「誰にでもじゃないわよ。お前に対してだけ」
「まだ、お腹がすいていますか」
「うん」
「じつはわたしも」
「お前も一緒に食べる?」
「はい」
「じゃあすぐにカーラを呼んで、料理を……きゃっ」
「必要ありません」
「クリフト……あ」
「今すぐ食べたい」
「待ってわたし、……汗が」
「いい」
「食べるって、そう言うことだったの」
「本当に愛してると、人は相手を全部食べたくなってしまうものなんですよ。かまきりみたいにね」
「だったら、わたしもいつかお前をそうしたいと思う時が来るのかしら」
「教えてさしあげます」
「じゃあ今度はちゃんと目を開けて、お前がすることをきちんと見ていなければいけないわ」
「そう」
「でも、無理かも」
「何故?」
「だってこんなふうにしながら、ずっと目を開けていることなんて……」
「じゃあ、閉じていても構いません」
「本当?」
「そのかわり、目を閉じていても解るように、姫様のお心すべてでわたしを想って」
「うーん、難しいわ……。でも、お前のことはすごく好きなの。本当よ」
「ちゃんと伝わっていますよ。だから目を閉じて、貴女の全部でよく覚えていて。
今からわたしが姫様を、上手に食べるから」
「わたし、クリフトの美味しいものなの?」
「永遠に、わたしだけの」
「好き、クリフト」
「はい、姫様」
---そして、恋人達がひそやかな囁きを交わす中、空はまた二人を甘く照らす。
明日はきっと今日より深く愛し合えるよう、祈りを込めた朝の陽射しの中で。
-FIN-