遺志
其の四十・決意
エルフのアドリアンは長いこと黙り込んでいたが、やがて探るように勇者の少年を見た。
「……すべて本気で言っているのか、貴様。
その目論みに、少しでも勝算はあるのか」
「ああ、本気だ」
少年は頷いて微笑んだ。
「すべて本気だ。勝算もある」
嘘だ。
たった今こうと決めた意志には、勝算どころかなにひとつ自信も確信もない。
だが敢えて口にすることで、不鮮明な青写真を確固たる未来像に変えようとするように、日頃無口な勇者の少年は早口に語り続けた。
腕の中のシンシアを、一切見ない。
見られないからだ。
少しでも彼女と視線を合わせれば、たちまち湧き上がる弱気に決意が崩れ去ってしまいそうで、勇者の少年はシンシアの背に腕を回したまま、だが決してそちらを見ようとはしなかった。
「アドリアン。お前が進化の秘法を持っているということが、きっと対秘法技術研究の役に立つ。
そしてお前がその力を打ち消すことが出来る、唯一無二のエルフ族であるということが。
申し訳ないが、しばらくの間俺と共に来て欲しい。
サントハイムのクリフト王は有能だ。調査のため体に触れられたり、少しは嫌な思いもするだろうが、そう長くはかからないと思う。
憎い人間に協力するのは、お前の意に反するかもしれないが」
「ああ、大いにな。誇り高き精霊の恥辱だ。到底承服し難い」
アドリアンは抗戦的に言い返したが、瞳は思わしげな色に沈んでいた。
「……もしもだ。もしも進化の秘法が消滅すれば、人間は今の愚かさを捨てるであろうか」
「さあな」
少年は肩をすくめた。
「人間人間と簡単にひとくくりにするが、じつは何億もの有象無象だ。世の中にはいろんな奴がいる。
たったひとつの出来事で、この世界に生きてる者全員が考えを変えるかなんて、そうなってみなけりゃ誰にも解らない。
ただ人間は、希少価値をありがたがる。エルフが邪悪な秘術を打ち消す力を持つと知ったら、少なくとも私利私欲のために惨殺するのを一旦は止めるだろうな」
「なんと、手前勝手な言い草だ。我らは人間の都合のために存在しているのではないぞ!」
アドリアンは逆上して叫んだ。
「なぜ人間は解らぬ?自分たちだけが安寧であれば、他の存在はどうなっても構わないとしか考えられぬ?
万物の生命は海と大地から生まれ、大地は空と繋がり、空が雨を降らせ、潤う大地から再び命が生まれる。
全ては繋がっているのだ。どこかが腐ればその腐敗は必ず転移し広がるのだぞ。そこに人間と精霊の差などない!」
「そう気付ける者が、人間側にもっと必要なんだ」
勇者の少年は言った。
「この世の全ては繋がっている。自分以外のものを守ることは、自分を守ることでもある。そう訴える人間がもっと必要だ。
少なくとも、俺の仲間たちはそう叫ぶことの出来る力を持っている。
だが彼らはこの世界に生きる以上、どうしても国という鎖に縛られる。
一番自由に動けるのは、俺だ。国を持たない。人間でもない。
お前の言う中途半端な半人半妖の存在が、意外と役に立つかもしれない」
「人間と精霊の……この世のすべての生命の架け橋とでもなる気か。小僧」
「俺がやろうとすることに、そんな御大層な名前がつくかどうかは知らないね。
……ただ」
少年はその時、初めてシンシアをそっと見下ろした。
シンシアは少年を見上げた。
少年の緑色の瞳に広がる、怯えたような激しい不安を見た。
不安と、困惑と、そこから生まれる強い希望の光を見た。
「俺は今、自分に出来ることをやる。
勇者だからじゃない。それがこの星に生きるひとりの人間としての、俺の役目だからだ」