遺志
其の三十六・宣告
もはや洞窟に力なく横たわるばかりで、今生との別れを目前に控えたはずの精霊王が、今だかくも饒舌になれることにアドリアンは驚いて言葉を失った。
勇者の少年の引き締まった胸に身を寄せ、シンシアは大きな瞳をさらに大きくして、少年と老ヴェルンドの顔を交互に見つめた。
何の話をしているのか、ちっとも解らない。
けれどおじいさんの言葉は、愛する少年の内に眠るなにかを揺り起こそうとしている。
それは彼が誰にも言わずにひっそりと飼っている、牙を隠した黄金色の獅子。
わたしさえもが、触れられないもの。
「シンシアは大地のエルフの中でも、生まれながらに擬態魔法を授かっている。
アドリアンと同じ、残る者、なのじゃよ」
急に名を呼ばれ、びくっと身をすくめたシンシアに気づくと、少年は安心させるように彼女の背に手を回して引き寄せた。
「大丈夫だ」
「う、うん」
「そして、命を繋ぐ者じゃ。種子を育む花の精じゃ。そなたとは違う長き時間を持っている。
解るか。永遠に傍にいて、片時も離れずにこの手で守りたいと望むことは無理なのじゃよ。
誰しも旅立ちは、往々にして独りじゃ。じゃがそなたたちの常人と違う所は、最初からそれを約束されているという所にある」
ヴェルンドは穏やかに告げた。
「ゆえに、少年。これが儂からの助言じゃ。
心せよ。そなたにはいつか必ず、愛する者を置き去りにせねばならぬ時が来る。
半身に人の子の血を受けし者。そなたは必ず、精霊シンシアより先に死ぬ」
勇者の少年は表情を変えず、黙ってヴェルンドを見つめていた。
やがて、ゆっくりとだが確かな笑みがその唇に昇った。
上等だ。
うすうす気づいていた、逃れられないしこりに目を背けるよりも、いっそ正面から直接掴みだしてくれた方が快い。
それに今あるものが永遠に存在することはないだなんて、とっくの昔に身を以って知り尽くしたことだ。
ならば、俺は何を遺せる?
大切な者に、何を遺していける?
この手に抱く愛する少女。
か細い体も木漏れ日のような笑顔も、いつか隣で守ってやれなくなる。
じゃあどうすれば伝えることが出来だろうか。
彼女に、いなくなっても愛していると。
声を聞くだけで、顔を見るだけで、共にいられた幸せに声を上げて泣きたくなるほど、心から愛していると。
腕の中の温もりに、残さず全て渡していきたい。
言葉を。思い出を。
約束を。願いを。愛を。
体が朽ちても、血脈が途絶えても、空気のようにとどまって永遠に消えることのない、死してなお息づく遺志を。