遺志
其の二十八・御名
(……まさか、はみ出し者の亜種の小僧が、このわたしに生き方を説くとはな)
エルフの青年はうつむいて両手で顔を覆い、やがてくっくっと笑い始めた。
「なるほど、確かにわたしは現状を打開しようと足掻きながらその実、古き束縛をいたずらに恐れるばかりだった。
力を手に入れようと焦るばかりで、今の己れ自身に出来得る可能性を模索するなど、考えもしなかった」
勇者の少年は怪訝そうにエルフの男を見やった。
「なんだ、急に笑いだして」
「よかろう。貴様の口にする言葉は稚拙で愚かだが、同時に奇妙な理力も備えている。
お前の言う通りにすれば、物事はすべからく善きに転ずるのだという、水面に落とされる一滴の波紋のような力を感じる。
これが勇者の力、「導く者」の力なのだろうな。
ならばわたしもお前の言う、なんとしても生き抜くという気概に賭けてみよう。
ヴェルンド様を無事に看取らせて戴いたら、わたしはこの地を去る。そして、共に生きる仲間を探してみることにする」
「ああ。それがいい」
少年は頷き、言おうかどうか迷うように視線を泳がせたが、ぼそりと口にした。
「どこにいたっていい。たった独りで生きて行くよりずっといい。
仲間ってのは……悪くないぞ。騒がしいし面倒な時もあるけど、思っているより、割と」
「わたしの名前はアドリアンと言う。小僧、お前の名は」
「小僧って言うなよ」
勇者の少年はむっとしてエルフのアドリアンを睨むと、早口で自分の名前を告げた。
「ほう、美しい名だ。珍しい響きの、異国の歌の題名のような名前だな。
お前を生んだ天空びとがつけたのか、それとも育ての人間が名付けたのか」
「知らない。母さんも父さんも、名前の由来なんて最期まで教えてくれなかった。
俺も、一度も聞かなかった」
勇者の少年はなにかの面影を追うように、頭上に広がる空を見上げた。
「……でも、呼んだ。あそこにいる人は。
まるでずっと昔から知ってたみたいに、懐かしそうに、哀しそうに、泣きながら俺の名前を。
あの時の俺はそれが嫌で、我慢できなくてとっとと逃げ出して、あれから一度もあの城へは行ってやしないけど」
「故郷と親とをあまた抱える、半人には半人なりの悩みがあるのであろうな」
「うるせえ」
勇者の少年は獰猛に反撥した。
「悩みじゃない。俺は悩みって言葉は嫌いだ。悩んでるなんて言葉、自分に酔ってるだけで、聞いてると胸が悪くなる。
これは、試練だ。悩みとは違う。
試練は薔薇の茂みみたいに棘だらけで目の前を遮るけど、痛くても必ず飛び越えられるように出来ている。
そして、飛び越えるために流した汗や涙が清き水となって、後に大輪の花が咲く。
薔薇は試練と成功のあかしでもある。だから、あんなにも美しいんだ」
いかに無口な彼とて、静かで深閑とした山奥の村での生活では、時に男同士の率直な会話に飢えることもあったのだろう。
無愛想な日頃の彼からは想像もつかぬほど、熱を帯びた口調で話すと、勇者の少年ははっと我に返って頬を赤くした。
「だ、だから、試練なんかに負けちゃ駄目だ。
乗り越えればいつだって、今よりもっといいことが待つ。何よりも強い心で、それを信じるんだ。
……って、シンシアが言ってた。
俺じゃないぞ。あいつだ。いいか、俺じゃないからな!」