遺志
其の二十五・和解
「エルフは滅ぶ。手の打ちようはない」
波のように遅い来るすさまじい痛みに顔を歪めながら、男は震える声で語り始めた。
「長い寿命は非力の表裏、唯一満足に戦う方法があるといえば、擬態魔法モシャスを使って他者の姿を借りることのみ。
己の保身力を持たぬ弱きエルフには、もはや滅ぶしか道は残されていない。
偉大なる精霊王ヴェルンド様は既にお年を重ねられ、聖なる玉体からかつての英気は失われてしまった。
恐らくそう遠くないうちに、器を手放して星の海へ旅立たれるだろう。この大陸のエルフの男は、わたしを残して誰ひとりいなくなるのだ。
だが……だがそうすれば、わたしはどうすればいいのだ。
人間が巣食うこの醜悪な世界で、どうやって生きればよいというのだ。
この世界にたったひとり残されて、共に生きる仲間を、家族を失って、わたしだけで一体どうやって生きよと……!」
「………」
勇者の少年は嗚咽するエルフの男を黙って見つめ、背中を踏みつけていた足をそっと外した。
突然の告白に困惑するように頭を掻き、ため息をつく。
(……参ったな)
身体じゅう傷だらけの精霊の男からほとばしる、血を吐くほどの悲痛な叫び。
独りになりたくない。
独りになりたくない。
(こいつの言ってることは、昔の俺と同じだ)
少年は剣を腰の鞘に戻すと、目を閉じて静かに息を吸い込んだ。
全身の神経を針のように研ぎ澄ませて、意識を洞窟内へと注ぎこみ、愛する少女の息遣い、それが教えてくれる温もりの行方を辿る。
(……いる)
シンシア。
彼女はこっちに向かっている。
なにか大きな存在が、こちらへ向けて無言の信号を送っているのか、先ほどまで解らなかった彼女の身の安全を、明瞭な念波に乗せて知らせて来ている。
「なんとか、無事ってことか……」
そのとたん、脱力するような強い安堵が、勇者の少年の指先まで浸み渡るように満ちた。
もう一度深いため息が洩れると、ようやく平常心が戻り、足元に倒れているエルフの青年の全身を覆う無惨な傷が初めて目に映る。
顔形の判別がつかぬほど血まみれの満身創痍。
急所の外し方から徹底した関節の痛めつけ方まで、憎い敵を死の寸前まで追い詰める技を熟知した冷酷な剣士の所業だ。
斬って、打って、魔法で弾き飛ばして、足で踏みにじった上に力任せに殴った。
大切な少女を奪われた怒りに吹き飛んでいた良心が戻り、痛切な罪悪感がにわかに襲いかって来る。
勇者の少年はばつが悪そうな表情を浮かべ、仕方なくその場にしゃがみ込んだ。
倒れたエルフの体に手をかざし、残り少ない魔力を総動員させて回復魔法を唱える。
「悪りい。ついやりすぎた。でもお前も悪いんだぜ、俺からシンシアを奪ったりするからだ。
いいか、二度とこんなことするなよ。次はほんとにぶっ殺すからな。エルフが滅ぼうがどうしようが、そんなこと知ったことか。
聞いてるのか?なあ、目を開けろ。
なあ……悪かった。
……ごめん。
ごめんな」