遺志
其の二十一・分身
一方、その頃。
「ハ、ハ!何度言えばわかる、愚か者!貴様にわたしは殺せぬと言ったろう!」
憎い敵を羽交い絞めにして剣を突きつける勇者の少年と、喉にぴたりと刃を押し当てられたエルフ。
遥か昔、人間の手で巧緻に穿たれた暗い洞穴中に、精霊の甲高い哄笑が響き渡った。
「救世の勇者よと祭り上げられて愚かしく自惚れた小僧よ、貴様はここで死ぬのだ。
半人半妖の亜種などこの世にはいらぬ。天空びとならば天空びとらしく、空の上に還れ。
人間は人間らしく……無様に朽ち果てよ!」
天空の剣の刃の下で、エルフの青年の体が硬さを失ってぐにゃりとねじ曲がる。
「またモシャスか。シンシアに化けたって、もうその手は効かない」
勇者の少年は舌打ちし、剣を握る手に力を込めた。
「下らないこけ脅しが何度も通用すると思ったら、大間違いだ。生憎だがそこまで優しい心は持ってねえ。
チャンスは十分にやったぞ。もう手加減しないからな!」
少年は刃をエルフの喉元にあてた剣を、思い切り横に引いた。
だが、かき切られた喉から血飛沫が飛び散るかと思いきや、手ごたえを感じない刀身が中途半端な速さで宙を滑る。
はっとした瞬間、勇者の少年はその場に素早く膝をつき、とっさに背中の盾を掴んで頭の上に掲げた。
激しい勢いで振り下ろされた剣が、盾に真っ向からぶつかる。
がぎん、という摩擦音。
硬質がぶつかり合い火花が噴く。
これまで味わったことのないようなすさまじい重さに、噛みしめた少年の唇が切れ、鮮血が滲んだ。
「……へえ、これを防ぐのか。
さすがだな。子供の頃から徹底的に、剣技を叩きこまれただけのことはある。考えるより先に体が動くってわけだ」
(……?!)
勇者の少年は顔を上げて、盾の端からこちらを見下ろす人物の姿を見た。
美しくも怜悧な表情から落とされるのは、これまでの生で最も近く耳にして来たはずの、冷たく不敵な声音だった。
「選りすぐりの師から厳しい英才教育を受けた上に、異種混血による驚異の身体能力だ。
おまけに攻撃から回復まで自由自在の、並はずれた魔力も持っている。まさに、戦うべくして生まれたってやつだな。
こうして立ってるだけで、体の内側から奇妙な熱がふつふつと湧き上がってくる。
これほどの力があれば、確かに地獄の帝王も、進化の秘法に身を投じた魔族の王すら倒すことが出来ただろう。
だとしたら、もしもその力を自分が受け止めなければならない場合はどうするんだ?
古代の伝説にもあったよな。最強の盾は、最強の剣をどう防ぐ?」
勇者の少年は答えず、黙って盾を持っていない方の手で、胸元に剣を引きよせた。
目に映る光景が、信じがたいまやかしだと驚愕するほど、彼はもう世間知らずではなかった。
自分の前に、自分が立っている。
勇者の少年が突き出した天空の盾に、もう一人の勇者の少年が振り下ろした天空の剣が重なっている。
「なあ、もしもお互いの力が全く同じだった場合、弱みを握られてる方が不利なんじゃないか。
たとえば……愛する者の居場所、とかな」
もう一人の少年がにっと唇の片方だけで笑い、地に膝をついた少年の頭上に、天空の剣を高々と振り上げた。