遺志
其の二十・聖告
誰しも体の中に命の砂時計を持っていて、それはいつ流れ落ちるのを止めるかわからない。
でもわたしとあの子の持つ時計は、壜に蓄えた砂の数があまりに違いすぎて。
だけど、それがとても幸福な保証だということを知るのに、そう時間は掛からなかった。
わたしはあなたを見送ることが出来る。
そう思うだけで、世界中が輝く。
わたしがいる限り、あなたはもう決してひとりきりになることはないから。
身体を行き来する呼吸が止まるまで、わたしはあなたの傍にいる。
別々に吸って吐いた温かい息が、静寂に溶けて途絶えるその時まで。
巡り続けた血潮が流れを止め、冷たく凍るその時まで。
わたしはあなたの傍にいる。
「お前の志はよく解った」
老エルフのヴェルンドは、皺深い目を眇めてシンシアを見た。
「そうと決めたのならば、必ずやり通すがよい。間もなくあの少年もここに来る」
「えっ」
シンシアは目を見開いた。
「来ているの?あの子がここに」
「ああ、とっくにな。ずいぶんかっかとしておる。峻厳たる怒りの気が洞窟中に充満しておるわい。
どうやらアドリアンとこぜり合っているようだが、いい加減にせねば、このままだとあの若者は、そなたを取りかえすためこの洞窟をまるごと壊してしまうじゃろう」
「わたし、帰りたい!あの子の所へ」
シンシアはヴェルンドの手を取った。
「でも、おじいさんの役にも立ちたい。どうすればいいの?エルフが滅ぶなんて嫌よ。
同じ種族として、わたしはどうすればあなたたちの力になれるの?」
「そなたは既に十二分に役に立っておるよ。
それにこうと道を決めた者に、それ以上の役目は負えぬ。二兎を追うことは出来ぬのさ」
ヴェルンドは老いて渇いた体で、シンシアを静かに抱き寄せた。
「突然無体な目に遭わせて、真に相済まなんだ。だがこうしてそなたをここに連れて来て、ひとつよかったことがあるぞ。
そなたはこれからしばらくの間、決してモシャスの呪文を使ってはいかん」
「どうして?」
「子供が宿っておる。体の大きさをめまぐるしく変えることは、胎内の命に良くないのじゃ」
シンシアは言葉を失って、ぽかんとヴェルンドを見つめた。
「子供……?」
「うむ」
「わ……わたしに?」
「間違いない」
「わたしと……あの子の?」
「そうじゃ。そなたとあの勇者の若者の。
天空びとと人間と大地のエルフの血を分けた、世にも不思議な不思議な子供がな。
じゃが子供は植物の種のように、土に埋めておけば勝手に芽が出て育つというものではない。
そなたとあの若者は、これから父と母になるため、あまたの労苦を乗り越えて行かねばならぬ。何よりもまず、体をいとわねばならぬぞ。
帰るがいい、シンシア。星の奇跡を護る月を名に持つエルフの娘よ。
誰しも運命は自分で選ぶもの。そこに何が待ち受けていようとも、すべては己れ自身が歩んだ結果に他ならぬ。
なに、安心せい。儂にはアドリアンという後継がおる。今のあやつは妄信に走るあまり、自らの生の可能性をすっかり放念しておるがな。
儂が死んでも、必ずまた新たなエルフが生まれる。そなたとあの若者の血を分けし子供も。
そして命は、悠久に続く」