遺志



其の十五・邂逅





「いや!助けて!止めて!」

シンシアは悲鳴を上げ、愛する勇者の少年の名を何度も叫んだ。

彼に頼りたくないという強がりさえ、もはや恐怖の前に跡形もなく消えていた。

「怖がらずともよい」

だがシンシアを持ち上げた蜘蛛の糸は、さやさやと音を立てると、煙が大気に溶けるようにあっという間に消え去った。

「擬態魔法を解いただけじゃ。逃げるにしても、蛙の姿はいかんぞ。この洞窟にはうわばみが多く棲んでおる。

その格好のままでおると、食われてしまうやもしれぬでな」

「……あなた、誰?」

シンシアは目を丸くし、思わず尋ねた。

「おじいさん……病気なの?顔色がとても悪いわ」

「儂か」

遠雷のようにひびわれた声が答える。

「病気ではないよ。もしも老いを病と呼ぶのであれば、すこぶる年季の入った病人であるがな。

儂はかつてこの大陸の精霊の統率者であった、妖精王ヴェルンドという。

千年以上の時を生きて、まもなく遠い星の海に還ろうという、一匹の老いぼれたエルフさ」

シンシアの前に、限りなく痩せさらばえた一人の老人が立っていた。

まるで何百年もそこに生えていた古樹のように、暗がりにひっそりと佇んでいる姿。

かつては美麗な王衣だったのであろう、かさかさに色あせたローブに身を包み、破れた裾から細い手足が干からびた枯れ草のように覗いている。

身の丈はエルフというよりドワーフのように小さく、頭頂で膨らんだ孔雀の羽のような白髪を入れても、シンシアの肩ほどまでしかない。

耳は長く屹立し、髪と同じく白い髭が首を覆っている。氷柱のように垂れた眉の下から、灰色に濁った瞳が虚空を泳いだ。

「やれ、久方ぶりに力を使うとえらく疲れてしもうたわ。

娘よ。済まぬが儂を、そこの岩壁に座らせてくれぬか。その……」

老エルフは顔の向きを変えずに、体とは反対の方向を指差した。

「そのあたりに、白くて大きな岩があるじゃろう。そこにちょうどいい窪みがある。あそこに」

見ると、確かにそこだけ白い大岩がある。シンシアは頷いて老人に歩み寄ると、小さな体を横抱きに抱え上げた。

朽ち木のような生命力の感じられない軽さに驚きながら、言われたとおりに岩壁にそっと腰かけさせてやる。

「うむ、こうすると楽じゃ。助かった。おぬしは女人の割にずいぶんと力持ちじゃな」

「わたし、村では薪を割ったり土を耕したりするの。腕力は意外とあるのよ」

「ほほう、火を恐れるはずのエルフが薪を……、とな」

老人は皺だらけのほほを揺らすと「善い哉」と呟き、首を空中に巡らせてしわがれた声で笑った。
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