遺志
其の十四・想起
飛んで着地して、飛ぶ。
跳躍しては、また前進。
蛙特有の上下運動を繰り返しながら、シンシアは暗がりをゆっくりと進んでいく。
麻痺毒は人型の形成そのものに働きかけていたのか、モシャスを唱えて体が変化すると、あれほど苦しかった痺れも消えた。
魔力など微塵も持たぬ自分が、なぜかたったひとつだけ使うことが出来る、古代から伝わる特殊な擬態化魔法。
初めてこの呪文を覚えた時、ただ嬉しくて、真っ先にあの子を脅かしてやろうと悪戯心を起こしたものだった。
勇者としての激しい剣の修練を終え、疲労を滲ませて家路を歩いていた彼の前に立ちはだかり、蛙の姿で小首を傾げてみせる。
(勇者様、勇者様……。
わたしはある国の姫です。悪い魔法使いに呪いを掛けられて、このような姿にされてしまったのです……!)
常日頃から無愛想で、美しいがとかく表情の変化に乏しかったあの子が、呆気に取られたように緑色の瞳を見開いたのは、今でも忘れられない。
いつもからかわれてばかりの自分が、今日こそまんまとしてやった、上手く行ったと内心手を打った。
だがあの子はさっと俯くと、笑いをこらえて唇の片側を持ち上げ、「なにやってんだ、シンシア」と口にしたのだった。
「そんなことしても無駄だ。何に変身したって、俺にはお前だってわかる」とも。
蛙の姿のまま、失敗にがっくり肩を落とすと、少年はその場に屈みこんで優しい仕草で自分を掌に乗せた。
そして不思議なまなざしで見つめると、呟くともなく呟いた。
「こうして違う姿に変身すれば、誰にも見つからずに村の外に出られるな。
俺には出来ないことが、お前は出来るようになってしまったんだな」
鼓膜に焼き付いて離れない、とても羨ましそうで、とても寂しそうな声だった。
その声を聞いた瞬間、もうこの呪文は決して使わないと心に決めたが、再び訪れた使用の機会はあまりに突然だった。
身を切るほど辛かった、かつてのあの故郷の襲撃事件以来、シンシアがモシャスを使うことに、少年が密かに抵抗を感じているのを知っている。
だがそれなくしては、エルフである自分は身を守ることも、外の世界に出ることも出来ないということも。
(でも、どうしてわたしはモシャスを唱えることが出来るんだろう?
死んだお父さんもお母さんも、魔法なんて少しも使えなかったのに)
(それはお前が残るべき者、だからだ。精霊の娘よ)
シンシアははっとして立ち止まった。
蛙になった自分の体が、いつの間にかなにかに捕らえられている。
蜘蛛の糸のようなねばねばしたものが、手にも足にも絡みついて、やがてツタのように全身に巻きつくとシンシアを持ち上げた。
「嫌!助けて!」
シンシアは絶叫した。