遺志
其の十二・回帰
「ぐわああああ!」
雷鳴のような叫喚が耳をつんざく。
勇者の少年は地に身を屈め、凍てつく波動が巻き起こす烈風を素早く避けた。
眼前のシンシアの体が爛れ、崩れて行くのを、表情ひとつ変えず見つめる。
可憐な精霊の少女は凄まじい苦悶に顔を歪めると、みるみる全身が流砂のようにどろりと溶けた。
やがて、足元に溜まった粘質な水から白銀の粒子がふつふつと立ち昇り、螺旋を描いて再び人の形を作って行く。
風が止む。
静寂が真実の姿を映す。
そこには見たことのない、ひとりのエルフの男が立っていた。
「さすがだ……としか、言いようがあるまいな」
まだ若い---エルフに人間と同じ若さの概念をあてはめればだが---エルフの青年は、苦しげに肩で息をしながら言った。
「選ばれしエルフのみが駆使する擬態魔法モシャスは、神をもたばかる十全さを持つ。
想う女の姿を借りれば、たとえ天空びとの血を引く勇者とて、容易く倒せようと思ったが」
「どこが十全だ。全然似てねえぞ」
勇者の少年は呆れて嘆息した。
「さっきの銀色の狼野郎もお前だな。あの時のシンシアだって、偽物だとちゃんと気付いてたんだ。
でもあの時は、たとえまがいものでもあいつの姿をした奴を刺すわけにはいかないと、咄嗟に躊躇した。
けど、それは間違いだった。偽物が勝手な真似をするのをなにより悲しむのはシンシアだ。
例えば俺の知ってる糞真面目な神官なら、愛する王女に関わる全てに敬意を払う。それは生まれ付いて、刷り込みみたいに本能的にな。
だからアリーナに化けられちゃ、たとえ自分が命を失うと解っていても、あいつは絶対に反撃の手を下せないだろう。
だが、俺は違う。俺はシンシアそのもの、それ以外には何の興味もない。
お前がどんなにあいつを真似ようと、もう絶対に容赦はしない」
勇者の少年は天空の剣を構え直した。
「あいつは生きてる。この洞窟に入った途端、強烈な気配を感じた。
そして、助けを求めていない。今すぐ来て欲しいという切羽詰まった念を感じない。
むしろ自力で逃げ出すから、俺に危ない真似をして欲しくないと思ってる。いかにもあいつの考えそうなことだ。
言えよ。なにが目的なんだ?
お前らエルフ族は、どうやっても戦闘には向かないはずだぞ。こんなことをして何になる」
「偉そうな口を。ちっぽけな半妖でありながら、勇者よと持て囃されて人間に迎合する貴様に何がわかるというのだ!」
エルフの男は逆上して叫んだ。