遺志



其の十・再訪





裏切りの洞窟。

その発祥は今は昔、二千年の過去に遡る。

古代、現ブランカ城市から砂漠まで広大な一帯に版図を有していたという、ある王国の王が、古代秘宝「信じる心」 を隠すため莫大な資産を注ぎ込んで築いた、人工の岩窟であるとされている。

それから幾重にも時は流れ、あまたの冒険者たちが 「信じる心」を求めて洞窟制覇に挑んだが、誰ひとり宝を手に入れることは出来ず、絶望の中朽ち果てた。

迂闊に足を踏み入れた者は皆、心を裂かれた哀れな骸と化す。

そこはいつしか「裏切りの洞窟」と呼ばれるようになった。






洞窟に踏み込んだ途端、閉鎖された空間独特の腐臭が鼻をつく。

肌を舐める不快な湿気も気にならず、勇者の少年は奇妙な懐かしさにとらわれて、ごつごつした岩壁や細部まで精緻に掘られた通路を眺めた。

最後にここに来てから、もう二年以上になる。

共に訪れたのは、独り旅していた自分と出会い、笑いかけ、並んで戦ってくれたコーミズ村出身の美貌の姉妹だ。

(この偽物め、もう騙されないわ!今度はこっちから行くわよ!)

(待って、姉さん。この方は本物みたい)

(ふうん……あんた、やっとこさ現れた本物なの?

じゃあ問題。エンドールではミネアの方がカジノにいた。あってる?

ほら、早く答えなさいよ!)

独立心が強く、なんにでもはっきり物を言う明るい姉と、物静かだが、いざとなると姉以上の激情家な面を見せた妹。

(ねえ、あんたは半分は天空人だけど地上で育ったんだもん。

だからあんたの仲間は、あたしたち地上の人間よね。そうでしょ?)

(こうして勇者様のお導きがあったからこそ、わたしのような者が天空の世界へ来ることが出来たのです。

父がいないという点では、貴方とわたしたちは似たもの同士ですわ。

だから……わたしたち、友達だと思ってもいいですよね)

芙蓉のごとくあでやかな二輪の花は、ちっぽけで弱い自分という人間の傍で咲くことを良しとしてくれた。

ここで手に入れた物は信じる心ではなく、もっと単純な友情。

飛び出したばかりの外の世界で初めて得た、かけがえのない仲間だ。

感傷を振り切ると顔を引き締め、勇者の少年は腰の鞘から剣を抜いて右手に構えた。

洞窟一体に漂う、ねばりつくような邪気。

これが神に愛された精霊族エルフのものなのか。

目を閉じて息を吸い込むと、五感を研ぎ澄ませて辺りの気配を探る。

(いる)

シンシアはここにいる。

そして、自分の助けを…………、

「待ってたよ」

少年ははっとして顔を上げた。

いつのまにか、目の前にシンシアが立っている。

「やっと来てくれたんだね。あなたがあんまり遅いから、自力でここまで逃げ出して来たの。

怖かった……すごく」

恋人の少女は、全身擦り傷だらけで服もぼろぼろに破れ、真っ青な顔を強張らせて立ち尽くしていた。

華奢な体がぐらりと傾ぎ、勇者の少年はとっさにシンシアの体を抱き締めた。

「本当にごめんなさい。夕食の支度をしていたら、隊商からはぐれたっていう商人が村にやって来たの。

ブランカまでの道を聞かれて教えていたら、突然襲われてここに……!」

シンシアは堪え切れなくなったように少年の胸にすがりつき、わっと泣きじゃくった。

「こんなに心配かけて、わたし、もうあなたと一緒にいる資格なんてないわ!」

「そんなこと、絶対にない」

勇者の少年はシンシアの背中を引き寄せ、片手に強く抱いた。

「俺はなにがあっても、お前がいなきゃ駄目なんだ」

「……じゃあ、わたしのお願いをひとつだけ聞いてくれる?」

少年は戸惑ったように目を瞠り、微笑んだ。

「こんな時になんだよ。言ってみろ」

「それは……」

シンシアは恥ずかしそうにうつむくと顔を上げ、次の瞬間、開いた唇からふたつの牙が剥き出された。

「あなたに、ここで死んでほしいってことよ!」

抗う暇もない。

勇者の少年の白い喉笛に、残虐に尖った牙が深々と食い込んだ。
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