遺志



其の七・創痍





加速をつけて突き出した剣は止めようがなく、彼女の顔めがけ、激しい勢いで突っ込んでいく。

間に合わないと思うや否や、勇者の少年は咄嗟に足を振り上げ、シンシアと剣の間に自分の足をねじり入れた。

天空の剣の分厚い刃が、靴を貫いて足の甲に深々と突き刺さる。

焼けつくような痛みが走り、少年は呻いてその場に転がり落ちた。

(言ったであろう。お前にわたしは決して倒せぬ)

微笑む精霊の少女の姿が音を立てて溶ける。

再び元の姿に戻った銀色の狼が、その巨体から想像もつかぬほど身軽に跳躍した。

(死ね、小僧!)

勇者の少年はぼやける視界の中、頭上から巨大な獣の牙が振り降ろされるのを見た。

(死ねだと?冗談じゃない)

自分の命がどれほどの犠牲と愛情の上に存在しているのか、痛いほど知っている。

だからたとえ世界が滅びようとも、俺はもう絶対に死にたいなんて思わない。

(あなたは異端じゃない。奇跡なんだよ)

(この星が生んだ奇跡)

それを教えてくれた者のために全てを賭けて生き抜く、そう誓ったのだから。

歯を食いしばって激痛を堪え、勇者の少年は左手を振り上げた。

自分だけが唱えることの出来る古い魔法の聖句を、早口で唱える。

アストロンの呪文。

鋼鉄と化して行く体を丸めながら、強張る両手を無理矢理動かして、刃を上向きに天空の剣を抱いた。

こうすれば不用意に喰らいついた途端、鋭い白刃の切っ先が獣の口を貫くだろう。

銀色の狼は少年の変貌に気づくと、空中で急制止し回転して着地した。

鉄の塊と化した勇者の少年を睥睨し、感心したように鼻を鳴らす。

(いにしえの硬化魔法を使うとは……さすが、地獄の帝王を倒しただけのことはある。ただの自惚れた小僧ではないようだな。

だが貴様のような汚れた亜種に、我ら一族の仲間を渡すわけにはいかぬ)

巨大な狼は首をもたげると、空へ向けて鋭く咆哮した。

するとそれを合図に、辺りに群れていた狼たちが、次々に踵を返して闇に姿を消して行く。

(人と天の血を受けし半人半妖なる勇者よ、悔しくば我れを追って来るがいい。

だが何度来ても同じことだ。あの娘を愛する限り、お前は決してわたしに勝てぬ)

鉄の彫像と化した少年を残し、銀狼は身を翻すと、闇に溶けるように姿を消した。
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