遺志
其の五・焦燥
勇者の少年の言葉を合図に、狼たちが獰猛な唸り声を上げて襲いかかって来る。
だが燃え盛る炎を飛び越えて向かって来る狼は、本能的な火への恐怖からわずかながら本来の瞬発力を失っていた。
それは類まれな剣の才を持つ勇者の少年にとって、もはや射撃の的のようなものだった。
旋風をまとわせて回転しながら、一匹一匹確実に斬り伏せていく。
剣舞のように華麗な動きで、体が前後左右にしなる。鋭く足が捌かれる。
筋力ではなく、ばねで戦う。少年が細身でありながら無敵を誇るのは、自らの体内に湛えられた発条力を熟知しているからだ。
彼にとって剣は、掌から生えた操縦自在な翼なのだ。斬ってまたはためく。滑空しては舞い上がる。
ハヤブサのように何度も、何度でも飛べる。
左右から襲って来る者には、ふりむきざま雷撃魔法の鉄槌を下す。背後からの敵には背負った盾ごとぶち当たり、胴に膝を叩き込んだ。
雷鳴が轟く。白刃が閃く。
天空びとの血を半身ぶんだけ引きながら、背中に何も持たぬ少年の体が空気と踊る。
剣と魔法と体技の融合、これが自分の戦いだった。斬り、打ち、異界の魔力を召喚する。
圧倒的な攻撃を加え、もしも傷つけば癒すことだって出来る。時に魔法で敵を眠りの海に沈め、必要とあらば瞬時に目覚めさせることも可能だ。
こんな戦い、他に誰が出来るだろう?自分が世界にたった一人の勇者だ。
猪突猛進するだけの武術家や戦士になど、たとえ何度手合わせしようとも絶対に負けはしない。
もう、手だって震えない。
勇者になんかなりたくない、皆と同じがいいと涙を流したかつての脆弱さは既に消え、力を得たという自信が強烈な誇りとなって、今の彼を支えていた。
少年は縦横無尽に剣を振るいながら、ちらりと狼の群れに目をやった。
倒しても倒しても、獣の姿は黒い絨毯を敷いたように地を這い、後を絶たない。
さすがにこれではきりがない。
前方から視線を離した途端、ここぞと狼が飛びついて来る。
舌打ちして剣を反転させ、柄で喉笛を思い切り打つと、狼はぎゃんとわめいて地面を転げ回った。
いい加減、こんなことを続けている時間はない。自分はシンシアを救出しなければならないのだ。
群れを凝視し、黒い影の途切れた先に、他より一回り大きな銀色の狼を見つけると、勇者の少年はすっと目を細めた。
(あいつが親玉か)
「どけ!」
少年は飛び掛かって来る狼を剣で振り払うと、背を乱暴に踏みつけ、獲物を狙う鷹のように群れの奥へと突進した。